第4章: 旅路
1923年· ババ 29歳ページ 449 / 5,444
一九二三年八月十六日、ボンベイに一か月以上滞在した後、バーバーはベヘラムジ、バルソープ、グスタジ、アディ、ルストムを伴い、汽車でロナヴラへ向かった。家族がロナヴラに住んでいたラムジューとガニは、マドニ氏のバンガローでの滞在を取り計らい、アブドゥル・タヤブはバーバー用に車を貸し出した。ロナヴラでの七日間は安らぎと喜びに満ちていた。導師はマンダリと談話を交わし、トランプをし、蓄音機のレコードを聴いた。カンダラの滝、ワルワン湖、ブシの湖までハイキングに出かけた。ヴァジフダールとサダシヴ・パティルも合流し、涼しく心地よいモンスーンの陽気とバーバーの上機嫌で、マンダリの士気は高まった。バーバーは八月二十一日にガニとラムジューの家も訪れ、その家族はダルシャンを賜る恵みに与った。1
八月二十二日水曜日午後五時、バーバーは持ち物すべてを携えて車でプーナへ向かい、ガニとラムジューにバンガローはもう空いたとマドニ氏へ手紙を書くよう指示した。しかし翌日、ラムジューはバーバーがマンダリと共に再び同バンガローへ戻って来たと知らされた。ラムジューは食事の手配を案じて急いで家へ駆けつけた。
バーバーはラムジューを見ると、怒気を含んだ声で言った。「サダシヴが私や他の者たちにあまりに気を配らなかったので、昨夜真夜中にここへ戻って来たのです。とはいえ、サダシヴとカスバ・ペートの者たちを不快にさせぬよう、すぐにプーナへ戻らねばなりません。」
長い話し合いの末、バーバーは代わりにプーナのキャンプ地区にあるアブドゥラ・ジャファルの家に滞在し、サダシヴにはマンダリの食事を手配するよう伝えることを決めた。この時期もバーバーは依然コーヒーだけを飲み、せいぜい時折ごく少量の野菜を口にする程度であった。ラムジューは必要な準備一切を整えるべく、直ちにプーナへ向かった。アブドゥラ・ジャファル(ラムジューの義兄)は喜んで自身のバンガローをバーバーに提供した。最初サダシヴは一行の食事を提供することに同意したが、後になってそれが不可能だと述べた。サダシヴはバーバーがアブドゥラの家に滞在することを気に病んでいた。導師に自分の家に滞在してほしかったからである。
バーバーはその晩、アブドゥラの家へ戻った。八月二十三日はモハッラムの第九日にあたり、バーバーはアブドゥラが席を用意してくれたモーディー博士の診療所からタジアの行列を眺めた。2バーバーは特にダウラトマイ、その娘メヘラ、スーナマシ、コルシェドをプーナへ招き、行列を共に見るよう手配しておいた。
脚注
- 1.ガニの家族は最終的に娘四人と息子一人にまで増え、ラムジューと妻は最終的に息子六人と娘二人をもうけた。
- 2.モハッラムは、ムハンマドの孫フサインの殉教を悼むイスラム教の聖日である。
