1月19日午前10時、バーバーは感化学校に送られた。花や花輪を捧げないよう求めていた。陽気な気分で、彼はこう述べた。「少年の頃、私は家の食料棚からものや食べ物を盗んだもので、少年らしいいたずらに満ちていた。しかし大人になった時、私は神をまるごと奪い、神と一つになった。お前たちは今、お前たちの愛を通じて私の愛を奪うことができる。そのためにお前たち全員を祝福する。」
バーバーの言葉はKhareによって少年たちのためにマラーティー語に翻訳され、400人の生徒全員が順番にダルシャンに来た。バーバーはある者を撫で、別の者の頭に手を置き、数人にキスをした。こうして少年たち一人一人が神人の愛と撫でを受ける恩恵を得た。
バーバーは1959年1月20日火曜日午前9時30分に男性・女性マンダリとともにプーナを出発し、メヘラザードに戻った。同じ日にAdiがバーバーのメッセージを持ってSakoriに送られ、Upasni Maharajへの約束通り、バーバーが引き続き彼女とSakoriの他の者たちに注視を向けていることをGodavri Maiに保証した。Noshir Iraniが21日に滞在を望んでメヘラザードに来たが、ボンベイに帰るよう指示された。
1959年1月までに、バーバーは時折(常に支えを伴ってはいたが)自由に歩くことができるようになっていた。しかし他の時には股関節の痛みがいつにも増して激しく、リフトチェアで運ばれなければならなかった。この痛みのため、Meheraはバーバーが二階の寝室の使用をやめ、代わりにそれまでMeheruとGoherの寝室だった母屋の部屋で眠ることを提案した。その部屋には外に通じるドアもあり、見張り番にとって便利だった。バーバーはその考えを承認し、メヘラザードに戻ると階下に移った。
1956年の事故の後、怪我による右脚と左脚の長さの違いを補うため、右側が左側より約4分の3インチ高く作られた特別なサンダルがバーバーのために作られた。バーバーはこれを履くとずっと楽で快適に歩けることがわかった。
