第4章: 旅路
1923年· ババ 29歳ページ 445 / 5,444
「光は消え、蛾たちだけが残された」と時代は寂しげに言った。「彼らは〈炎〉に集まったが、自らが蛾であると気づいたとき、〈炎〉は消えてしまった。しかし蛾たちが光なくして留まり続けることなどできようか。今や、人生そのものが、永遠の〈光〉を求めその中に溶け入ろうとする絶え間ない探求となったのだ」。
一晩列車に揺られ、バーバーとマンダリは1923年7月7日土曜日の午前5時30分にボンベイのダーダル駅に到着した。グスタジとブルジョール・P・ダヒワラが駅で待っており、一同はすぐに、午前7時25分にナシーク行きの列車が発つ予定の別の駅へと向かった。1メヘル・バーバー到着の知らせは、信奉者たちの間で街中に広まっていた。ブルジョールのほか、ナヴァルとディナ・タラティ、ホルムスジとルパマイ・カラニ(ディナの両親)、そしてチャルニ・ロードの信徒たちもダーダルに来ていた。ブルジョールが車中で食べる米とダールを持参し、バーバーは一人ひとりを愛情込めて迎えた。マサジも駅でバーバーと再会し、再びマンダリに加わった。ペンドゥはクエッタへ発ち、そこで休息して健康を取り戻すよう言いつけられていた。
列車の中で、バーバーは男たちに食べ物を配った。バーバー自身はコーヒーだけを口にし、数か月続けてきた液体だけの断食を破ることはなかった。同じ車室にいたパールシーの一人が、長らくバーバーをじっと見つめていた。男はバーバーの輝かしい美しさに耐えきれず、ついに圧倒されて師の足元にひれ伏した。男が落ち着きを取り戻すと、バーバーは慈悲深く抱きしめ、その身の上を尋ねた。
一行は午後2時45分にナシークに到着し、ナシーク出身のサイエド・サヘブが出迎えに待っていた。一行はトンガに乗り、サイエド・サヘブが数日間宿泊できるよう仮の手配をしてくれていたノマンバイの家へと向かった。その家は駅から6マイルの所にあり、かなり風通しが良く広々としていた。2サイエド・サヘブは自宅から米とダールとほうれん草を持って来たが、マンダリには米とダールしか食べてはならないという厳しい指示が出ていたため、バーバーはほうれん草を返した。それでも食事は実に美味しく、何日かぶりにマンダリは美味しく香辛料の効いたダールをまた楽しんだ。
7月8日、バーバーはグスタジ、ベフラムジ、そして前夜到着したばかりのムンシジを伴って、より長期の宿を探しに出かけた。バーバーはガンガプル近くの川辺の一画を選び、次の行動を説明するためノマンバイの家に戻った。
脚注
- 1.パールシーのダヒワラ家はバーバーがマンジル・エ・ミームに滞在していた頃、隣家として住んでおり、その縁でバーバーと結びつくようになった。
- 2.ノマンバイはカスバ・ペスのトディ屋時代からの初期の信奉者の一人で、ナシークでは成功した商人となっていた。
