第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,436 / 5,444
1958年6月14日土曜日、プーナを四日間訪問した後、バーバーはホマ・ダダチャンジの運転するメヘルジーの車でメヘラザードへ戻った。マンダリはアディ・シニアと同乗した。バーバーは15日からほとんど毎日メヘラバードを訪れ、7月10日の集会準備についてペンドゥ、パドリ、ヴィシュヌに指示した。
この頃、ホマはバーバーを運転するためメヘラザードに滞在していた。彼は脚の手術を受けていたため、地面に座ることも、便所でしゃがむこともできなかった。そこで彼は、便意を催すたびに風変わりな策を思いついた。バーバーをメヘラバードで降ろした後、彼は車を少し遠くまで走らせ、畑に立ったまま用を足してから戻って来るのだった。ある時、メヘラバードへ戻る途中でにわか雨に遭い、車が泥にはまった。彼は非常な苦労の末に何とか車を抜け出させたが、戻る前にバーバーはすでに仕事を終えていた。バーバーは待っていて、数日間メヘラバードに滞在していたジム・ミストリーと一緒に出発しようとしていた。
バーバーはホマに、車でどこへ行っていたのかと尋ねた。ホマは「便所へ行っておりました」と答えた。
バーバーは言った。「これは私が今まで聞いた中で一番奇妙な話です。あなたは一体どんなヨーガをしているのですか。車で便所へ行くのですか」
ホマは自分の窮状を包み隠さず打ち明けるほかなく、バーバーは笑って言った。「何と素晴らしいヨーガでしょう。あなたのヨーガを、私はヨーグラージャ [すべてのヨーガの王] と名づけます」
デーシュムクは6月16日にアフマドナガルへ到着し、それからメヘラザードへ行って数日間滞在した。
18日には、その年の沈黙の日のための特別な指示を載せたライフ・サーキュラーが発行された。その通達にはまた、こう記されていた。「1958年7月10日まで、誰もバーバーまたは彼のマンダリに何も書いてはならない」
6月20日、アディは招待された人々に、バーバーが「普遍的メッセージ」を授ける予定の集会について知らせた。約200人の愛する者たち(そのうち8人は女性)が招かれ、前日の7月9日に到着するよう指示された。
最近の西方訪問の際、バーバーは何人かの愛する者たちに、7月14日から始まる40日間守るべき具体的な指示を送ると知らせており、今その件について手紙を口述し始めた。彼は東方の愛する者たちにも同じことをした。
