1958年6月14日土曜日、四日間のプーナ訪問の後、バーバーはHoma Dadachanjiが運転するMeherjeeの車でメヘラザードに戻った。マンダリはAdi Sr.と共に車に乗った。バーバーは15日からほぼ毎日メヘラバードを訪れ、7月10日の会議の準備についてPendu、Padri、Vishnuに指示を出した。
Homaはこの時、バーバーの運転手としてメヘラザードに滞在していた。彼の脚は手術を受けたため、地面に座ったりトイレでしゃがんだりすることができなかった。そこで彼は排便の衝動を感じるたびに、独創的な方策を思いついた。メヘラバードでバーバーを降ろした後、車で離れた場所まで走り、野原で立ったまま用を足し、それから戻るのだった。ある時、メヘラバードへの帰り道で雨に見舞われ、車が泥にはまってしまった。非常な苦労の末に車を脱出させたが、戻る前にバーバーはすでに仕事を終えていた。バーバーは待っており、同じくメヘラバードに数日滞在していたJim Mistryと共に出発しようとしていた。
バーバーはHomaに車でどこに行っていたのかと尋ねた。Homaは「トイレに」と答えた。バーバーはこう言った。「これは今まで聞いた中で最も奇妙な話だ。どんなヨーガを実践しているのか?車でトイレに行くのか?」Homaは自分の窮状を正直に打ち明けざるを得ず、バーバーは笑ってこう言った。「なんと素晴らしいヨーガだ!お前のヨーガをヨーグラージャ(すべてのヨーガの王)と名付けよう!」
Deshmmukhは6月16日にアフメドナガルに到着し、その後メヘラザードに行き、数日間滞在した。
18日、その年の沈黙の日のための特別な指示を記した「ライフ・サーキュラー」が発行された。このサーキュラーにはまた次のように記されていた。「1958年7月10日まで、誰もバーバーまたはそのマンダリに何も書いてはならない。」
6月20日、Adiは招待された人々に会議について知らせた。その会議でバーバーは「普遍的メッセージ」を授ける予定だった。約200人の愛者(そのうち8人は女性)が招待され、前日の7月9日に到着するよう指示された。
最近の西洋訪問の際、バーバーは特定の愛者たちに、7月14日から40日間遵守すべき具体的な指示を送ると伝えており、今やそれに関する手紙の口述を始めた。東洋の愛者たちに対しても同様にした。
