第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,389 / 5,444
ムスリムたちはただ一度の誕生と一度の死だけを信じます。キリスト教徒たちもゾロアスター教徒たちも同じことを信じます。皆正しいのです。しかしイエスもブッダもムハンマドもゾロアスターも、皆、私が言うところの真の誕生と真の死を意味していたのです。私は言います。あなた方は一度生まれ、一度死ぬのです。
いわゆる誕生や死と呼ばれるものはすべて、眠りと目覚めにすぎません。眠りと死の違いは、眠ったときには目覚めると同じ体の中にいる自分を見出すということにあります。しかし死の後には、別の体の中で目覚めます。あなた方は決して死にません。ただ祝福された者たちのみが死に、神と一つになるのです。
ニルヴァンとニルヴィカルプに関する談話が読み上げられる予定だった。1バーバーはその前置きとしてこう述べた。
「これは短いものですが、難しいものです。ついて来られない方々は心配なさらないでください。これは言葉にすぎません。意味があるのはただ愛のみです。もっとも愚かな者であっても、私が愛されるべき仕方で私を愛することができるなら、その者は、私をどう愛してよいかを知らないもっとも聡明な者よりも、無限に祝福されているのです。
ファナ——ファナとは無意識の状態です。ファナにおいては、魂は「自我こそ神である」ということ以外のすべてを意識していません。魂が人間の状態を失い、ニルヴィカルプ[「我は神なり」]という神的状態を得る前に、ニルヴァンという真空の状態を体験せねばなりません。ニルヴァンとは、魂が真の無(Real Nothing)を完全に意識する無限の真空状態です。ニルヴァンの後にはただちに、また必然的にニルヴィカルプ[ファナ・フィラー]が続き、そこで魂は真の全(Real Everything)を完全に意識します。
ニルヴァンとニルヴィカルプは取り返しのつかぬほど結びつき、一つに繋がっているので、それぞれを神聖なる目標と呼ぶことができます。
偽りの無 = 幻想的な全
真の無 = 全でもなく無でもないもの
真の全 = 無限なる神
偽りの無は偽りの全に導き、真の無は真の全に導きます。偽りの無は偽りの全と結ばれ、真の無は真の全と結ばれています。最終的に、偽りの無は偽りの全に行き着き、真の無は真の全に行き着きます。
二元性においては、偽りの無が偽りの全です。一体性においては、真の無と真の全は一つです。
バーバーはこう述べた。
「七度聴けば理解し始める望みがあります。さもなくば、無の中に自らを見失ってしまうかもしれません!真の無とは何でしょうか。無と真の無との間には違いがあります。真の無とは、無ですらないことを意味します。第六の境地においては、人は神以外には何も見ず、いたるところで神を見ます。何も見ずして、また同時にすべてを見るのです。そこにはなお二元性があります——見る者と見られるものとです。見る者は神以外には何も見ません。
脚注
- 1.ニルヴァンとニルヴィカルプに関する説明は、もともと1956年10月にバウに口述されたものだった。
