第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,390 / 5,444
見る者が完全なる導師の助けによって第六の境地を越え、深淵の向こうへと押し渡されるとき、その体験は無限の真空の体験です。それは言葉で説明することができません。見る者もなく、見られるものもなく、無もなく、全もありません。それが真の無です。しかしこの真の無の直後には、全てである神との合一が続きます。その真空は無限であり、無限なるものによって満たされねばなりません。それが、人が第七の境地へ押し入れられるときの体験です。それゆえ、いたるところに神を見る第六の意識の境地にある聖者たちでさえ、真の無が何であるかを知りません。
この談話への質問に答えることについて——本当のことを申しますと、私は質問と答えが好きではありません。始まりなき始まり以来、私はただ一つの問いを発しました——「我は誰なるか?」と。そして私は一つの答えを与えました——「我は神なり!」と。それ以外のあらゆる質問と答えに、私は興味を持ちません。それでもあなた方を喜ばせるために、私は質問を聴き、お答えしましょう。ハリー[ケンモア]は質問でいっぱいです。
誰かが尋ねた。「霊的な意識の境地にある人々は、その同じ境地の意識を持って生まれてくるのですか。」バーバーはこう答えた。
「そのとおりです。しかし意識の現れ方はきわめて漸進的なものです。粗大意識を持つ者が死に、粗大界の意識を持って再び生まれる場合と同様です。その子は成長するにつれ、粗大界での過去の体験に従って、その同じ昔ながらの粗大界を次第に意識するようになります。ある境地の意識を持って生まれた子は、初めから一度にその境地を意識するわけではありません。その境地は、子が次第に成長するにつれて、ごくゆっくりと展開していきます。後年この子は成人となり、粗大界の人がその世俗の生に確立されるように、自分の該当する意識の境地での生に確立されていきます。
このように、粗大界の人は死んで、粗大界を意識した状態で再び生まれます。同様に、特定の意識の境地にある人もまた、前世のその該当する意識の境地を意識した状態で再び生まれます。彼はより高い意識の境地においてさらに進むこともあれば、進まぬこともあります。進みは、より高い境地の霊的指導者の助けか、完全なる導師の恩寵か、あるいはその特定の意識の境地の生における自身の努力にかかっています。
