第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,384 / 5,444
それは心や理性とは何の関係もありません。この永遠の知識——ドニャン[知識・智慧]——を体験した者こそ、智者です。心はこう言います。「昨日バーバーがここにおられ、バーバーが私たちに談話をなさり、私たち皆がそれを聴き、子供たちはパーティーをしました」と。そして心はまた、「明日は公演があります」とも言います。
しかし、稀なる一人の存在は、昨日や明日というものは存在しないことを知っています。始まりなき始まりから終わりなき終わりに至るまで、永遠の今が存在しています。ただ一つの瞬間しかありません——永遠の今です。永遠の今を体験する者は、あらゆる疑いも心配も、すべてが霧のように溶け去るのを見出し、永遠の至福の中にとどまります。
バーバーは続いて予知について説明した。
A. 普通の人が持つ予知は、過去の経験に基づく記憶に依存しています。
1) ある人が山頂にいる男を見たとき、その人は、もしその男が山から落ちれば必ず死ぬであろうという予知を持ちます。
2) ある人が競馬場の出発地点に並んだ馬たちを見たとき、その人は、「スタート」の合図が出されればすぐに馬たちが走り出すという予知を持ちます。
3) ある人がウイスキーの瓶を見たとき、彼は、その液体が酔いをもたらすであろうという予知を持ちます。彼はウイスキーを酔いと結び付けます。
普通の人が持つ予知については、このような例を何千でも挙げることができます。
B. 完全なる導師たちの予知は、永続する分かつことのできない体験に依存しています。
1) 永続する=連続性に途切れがないこと。
2) 永続する=過去・現在・未来が、相対的にすら自らを規定する余地がないこと。
それゆえに、完全なる導師たちとアヴァターは、「私はすべてを知っています」と断言なさるのです。それは彼らの永続する、分かつことのできない体験によるものであり、彼らの無限で分かつことのできない、遍在し、万物に遍く満ちる個別的自己——永遠なる存在——以外のものには、何ら余地が残されていないからです。
もし過去、現在、未来というものがあるとするなら、私はすべてを知っていると申し上げましょう。それは、あなたがたが過去に何度生まれたか、未来に何度生まれるか、そして百万回の誕生の後に生まれたときに何を考えるかまで、私は知っているという意味です!私はそれを、この私の永遠の今の中で知っているのです。これが全知である[こと]の意味なのです。
バーバーは時間を尋ねた。十一時だった。
「ご覧なさい、幻の中で私たちが皆、時計や時間にどれほど囚われているかを!しかし、私たちが幻を超えてゆくと、時間もなく、空間もありません。それは永遠の至福です」
