第33章: 1958年西洋サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,383 / 5,444
私たちは同じ結論に至ります。神は在りました。では、神の以前には何があったのでしょうか。答えは同じです。神は在りました。さて、幻の中では、あなたは始まりを持つご自身を見出されます。そして、始まりがあるところには、終わりもあるのです。それでは、幻を体験しておられるあなたが、始まりも終わりもないものをどうして想像できましょうか。しかし、あなたご自身は、ご自身の無限の大洋の一滴として、始まりも終わりもないのです。あなたはこの形をお持ちです。あなたは生まれます。あなたは一滴としては始まりを持ち、成長し、死に、終わります。あなたは幻の中で始まり、幻の中で終わります。肉体としてのあなたには、始まりと終わりがあります。しかし無限の大洋としては——あなたは肉体としてその大洋の一滴であられますが——始まりも終わりもありません。
ネッド[フット]、あなたには心(こころ)があります。心は幻の中にあります。心は始まりも終わりもないものを思おうとしますが、心そのものが幻であるため、そこに到達することはできません。
ご自身の真実の自己を体験すること、それが目標です。あなたは在り、そしていつまでも在られるのです。あなたのほかには、誰一人としていません。一瞬のうちに、閃光のごとく、あなたはご自身がなぜ始まりも終わりもないのかを含めて、すべてをお知りになります。しかし、この知ることは、心とも、理性とも、論理とも、いっさい関わりがありません。それは心を超えています。あなたはすべての答えを知り、何も起こらなかったし、これからも何一つ起こらないということをお知りになります。そのときあなたは至福を体験され、全能・全知となられます。
バーバーは「遍在」についてのこの談話を朗読させた。
遍在する者にとって、何ひとつ隠されているものはありえません。そして、そのような者には何も隠されえないがゆえに、彼は全知でなければなりません。彼は全知であり、すべてを知っておられます。
したがって、彼はすべてのことをどのように行うかをも知っておられるはずです。彼はこう申されるでしょう。「私はすべてを創造する仕方を知っています。私はすべてを破壊する仕方を知っています。私はすべてを保つ仕方を知っています。私はすべてを行う仕方を知っています。」
したがって、全知である者は、必然的に全能であります。彼が遍在することによって全知となられ、それがまた全能となさしめたのです。要するに、遍在するということは、同時に全知でもあり全能でもあるということです。神のこれら三つの属性はたがいに結びついており、神の無限の至福を生み出します。全知であり、遍在であり、全能である者は、無限の至福の状態に在らずにはおれません。
バーバーは尋ねた。
昨日、何が起こりましたか。何ひとつ起こっていません!明日、何が起こるでしょうか。何ひとつ起こりません!すべては今、起こっているのです。まさにこの瞬間にすべてが起こっているというこの体験こそが、ドニャン[知識・智慧]——知識、智慧です。
