第32章: 1958年メヘラバード・サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,293 / 5,444
それから彼は詳しく説明し始めた。
私は同じ意識のレベルにおいて、すべての方と一つです。皆さんは皆、私のサハヴァスのために来てくださったのですから、ここにとどまり、家のことは忘れて、心からサハヴァスを存分に味わえるよう、私と共にここに居続けてほしいのです。サハヴァスとは、愛を与え合う親密さのことです。皆さんすべてが私を愛する者となり、私はあなた方の唯一の愛しいお方となるか、それとも私だけが愛する者であり、皆さんすべてが私の愛する者たちのままでいるか、いずれかです。
私が太古の存在であり、この時代のアバターであることは疑いありませんが、アバターであっても自らのブッディ[記憶]に頼ることはできません。今や私は六十を過ぎ、記憶力も弱くなっています。ジャル・ケラワラがよく口にしていたことわざに、人は六十を過ぎると記憶力が衰えるというものがあります。今や二月二十五日には私は六十四歳になり、皆さんは私の誕生日に参加するためにここにおられます。六十四歳の私の記憶力が、いつも私と共にあることを期待することはできません。しかし面白いのは、皆さんが「記憶」を探し求めるのに対し、記憶のほうが私を求め、私のもとへやって来るということです。
このサハヴァスでは、皆さんに心配ごとを忘れて、ただ私と共にいてほしいのです。できるかぎり長く私のそばにいられるよう、皆さんに最善を尽くしていただきたいのです。私は愛の大洋であり、この大洋からどれだけ多くを汲み取るかは、皆さん次第です。皆が受け入れる用意をしていなければなりません。それは、皆さんが心配ごとをすっかり忘れ、私に心を集中するときにのみ可能となります。
言葉や説明や講話は、愛の尊厳を損ねます。それにもかかわらず、時間が見つかるたびに、いくつかの説明や講話をいたします。私が皆さんに知っていただきたいことを把握できない方々も、心配なさる必要はありません。ただ私のそばにいて、この五日間、ここで私の存在をお楽しみください。私の言うことすべてを理解できる方々はもちろんいっそう深く味わえるでしょう。しかし、理解できない方々は、ただ私のそばに居て、できるだけ多く私を見つめていてください。
私たちは説明や講話や言葉そのものには、いかなる重要性も与えません。言葉には何の意味もありません。私たちが理解したと思っていることは、本当には理解していないのです。実在は人間の理解を超え、サマジ[理解]を超えています。神は理解を超えています。それどころか、〈知〉が現れる前に、知性は消え去らねばなりません。
