第32章: 1958年メヘラバード・サハヴァス
1958年· ババ 64歳ページ 4,286 / 5,444
偽の「私」は偽以外の何ものでもなく、真の「私」について何の概念も抱くことができません。真の「私」は、偽の「私」として働きながら、真の「私」についての偽の概念を形成します。では、偽の「私」は何と言うのですか?それはこう言います。「おお、真の「私」よ、私はあなたをすべての中で崇めます!あなたこそ唯一の実在であります。私はあなたに頭を垂れます。あなたはすべてにおいて全知であります」、などと。そして皮肉なことに、偽の「私」が真の「私」に祈り、これを崇拝するとき、それはただ他の数え切れないほどの偽の「私」たちにのみ出会い、それしか見ないのです。実のところ、それは唯一にして真の「私」ではなく、他の偽の「私」たちを崇拝しているのです。
しかし、愛の道〔プレム・ヨーガ〕は独特であります。なぜなら〔そのヨーガの形において〕、真の「私」が偽の「私」、すなわち愛する者の役を演じる一方で、自身は密かに愛しいお方として背後にとどまるからです。そして、この役を演じ続ける間に、自らの偽のエゴを焼き尽くし、消費し、最終的には愛しいお方そのものとして残るのです。
例えばエルチにおいては、真の「私」が偽の「私」として働き、内なる真の「私」を愛します。一方には真の「私」があり、他方にはエルチとしての偽の「私」があります。しかしこれらは別個の二つの「私」ではありません。エルチとしての偽の「私」は、真の「私」に愛を捧げようとします。だからこそ、愛が次第に増し、憧憬の強さが増すにつれて、偽の「私」は〔愛する者として〕段階的に愛によってますます消費され、消し去られていきます。その間ずっと、愛しいお方としての真の「私」は本来の姿のまま背後にとどまっています。やがて偽の「私」が完全に消費されると、偽の「私」も愛も残りません。真の「私」としての愛しいお方が、唯一無限にして不可分の自己として至高の座に君臨します。
精妙界の境地においては、真の「私」の内なる体験は神聖な幻覚であると言えます。精神界の境地においては、真の「私」の内なる諸体験は霊的な悪夢であると言えます。内なる体験は神聖な目覚めへと至ります。
バーバーが、真の「私」が偽の「私」の役を演じていることについて談話していたとき、バーバーの左に座っていたグルマイがその耳に何か面白いことを囁き、バーバーを笑わせた。
午後4時30分ちょうどに、アランガオンのグループがいくつかのバジャンを歌った。その後、アロバが立ち上がりマイクでペルシア語の何かを読み上げたが、ペルシア語を話すのはアロバだけなので、彼以外には誰も理解できないとバーバーは指摘した!
