第4章: 旅路
1923年· ババ 29歳ページ 427 / 5,444
のちにバーバーはアディの耳を優しく診て、アディは自分の無礼を悔いた。その後数日間、バーバーはアディを看病し、耳に薬を入れてやった。
5月31日にカラチに到着したとき、バーバーは上機嫌だった。ピラマイの夫ホルムズド、ベイリー、その他の帰依者たちが駅で一行を迎えていた。ベイリーの姉コルシェドはカラチに移り住んでおり、バーバーは旅の手配を手伝わせるためにベイリーを先に派遣していた。バーバーはヴィクトリア馬車でピラマイの家へ行き、そこで休息した。数日のうちに、すでにメヘル・バーバーを知っていたカラチの住民たちがダルシャンを受けに訪れた。
この時期、バーバーの黄金色を帯びた茶色の髪はかなり長く、巻き毛になっていた。ピラマイの家に滞在している間、バーバーはグルマイに自分の髪を梳いてくれるよう頼んだ。導師が女性マンダリの一人に髪を梳かせることを許したのは、これが初めてであった。グルマイは新しい櫛とブラシでそれを行い、その日以来、抜け落ちた髪をすべて大切に保管した。
ピラマイは自宅で一同を心地よく迎えた。のちに彼女はバーバーとマンダリをカラチの名所巡りに案内した。ある日、バーバーはボンベイからカラチに移住した母方の叔母と叔父、バヌ・マシとコダダド・マサを訪ねた。その後、バーバーはベイリーの姉の家を訪れた。
1923年6月4日月曜日、バーバーと一行はピクニックのため、カラチから二駅離れた小さな村マリールへ列車で向かった。マリールでバーバーはスイカを担ぐのを手伝い、近くの小川まで2マイル歩いた。そこで導師は水浴びをし、自分の衣服を自ら洗った。ピラマイの父ジェハンギールは、当時のほかのゾロアスター教徒と同じくバーバーに「反対」していたが、たいへん寛大な人物で、一行のために食べ物や果物を送ってくれた。この時も彼はピクニックのために美味しい食事を用意してくれた(バーバーはスイカジュースだけだった)。しかしマンダリが食べ始めるや否や、小さな虫が何人かを刺した。バーバーは激怒し、せっかくの料理があったにもかかわらず、全員に半ば空腹のまま帰宅するよう命じた。ラムジューは食べ残しのスイカを担いでカラチへ戻らねばならなかったが、途中で肩から滑り落ちて割れたため、その厄介な荷物を運ぶ手間を免れた。
ピラマイの兄ルシは、妻コルシェドと子どもたちとともにクエッタに暮らしていた。ルシはクエッタにおけるペンドゥの元上司であり、コルシェドの妹はグルマイの甥ディンショー(サロシュの兄)と結婚していた。コルシェドはかつて子どもたちを連れてマンジル・エ・ミームを訪れ、そこで初めて短く導師に会ったことがあった。一家全員でアフマドナガルのルストムの結婚式に出席し、そこでバーバーに会って間もなく深く帰依するようになった。
