第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,223 / 5,444
そしてこのメッセージは、12月1日付のマニの家族書簡を通じて西洋の人々へ届けられた。
私はあなた方の愛を嬉しく思い、あなた方が問い返すことなく喜んで私の望みを受け入れてくれることを承知しています。私は何が最善かを知っており、私の決定は最善のためのものです。私はただ神のみが愛しうるかたちであなた方を愛しており、1958年5月には必ずあなた方に私のサハヴァスを与えます。このサハヴァスは、私があなた方に与えたいものを、私が満足するかたちで100パーセントあなた方に届けてくれるでしょう。そのときあなた方は、この言葉で私が言わんとすることを十分に理解するでしょう。私のダーマンをしっかり掴み、私をますます愛してください。そうすれば、私が与えるものを十分に受け取るでしょう。
ひとりひとりに私の愛を。
グスタジの弟スラムソンは11月30日にメヘラザードでバーバーに会い、グスタジの遺品の一部を受け取った。1マドゥスダンは翌日に面談をした。
1957年12月5日、ハリー・ケンモアはメヘルジーとともにボンベイへ向けて発ち、そこから飛行機でニューヨークへ戻った。彼は神の酒(ワイン)にすっかり浸された姿で旅立った。彼は主を治療しに来たのだったが、かえって自分自身が「治療」され、バーバーの愛に狂わされた。
アルナヴァズとナリマンも同じ日に到着し、アルナヴァズは12日間メヘラザードに滞在した。
プーナのバーバーの愛する者たちは、自分たちと家族にダルシャンを与えてほしいと懇願し、バーバーはこれを聞き入れて12月8日に行うことに決めた。グルプラサード・バンガローが借り上げられ、プーナの働き手たちが必要な準備を整えた。他の都市の人々もバーバーの許しを得てやって来た。その中にはプカルやバル・ナトゥ、そしてアフマドナガルから来た約20名が含まれていた。
彼らに混じってジャバルプルから来た新参者がおり、その名はアミヤ・クマール・ハズラといった。26歳のアミヤは、1954年にジャバルプルでバウ・カルチュリの非公式な講話に偶然出会い、そのときに初めてバーバーのことを知った。その後1956年に、アミヤは結婚式でY・L・ムニラジに出会い、ムニラジは彼にバーバーの著作をいくつか読むよう勧めた。その後、故郷のバーバーの愛する者たちと何度か会った末に、アミヤはバーバーに一通の手紙をしたためた。彼がその手紙を投函した瞬間から、アミヤのバーバーへの愛が現れ始め、その渇望は彼を感情の激しいほとばしりへと駆り立てるようになった。彼は2月まで待ってからお会いするのは耐えられないと訴える手紙をバーバーに書き送った。それゆえバーバーは、彼が12月7日にプーナへ来ることを許した。
バーバーは7日にメヘラザードから車で出発し、ガネシュキンドで一夜を過ごした。午前5時には起きなければならなかったため、彼はよく休めなかった。彼は午前8時にグルプラサードに到着した。彼が大広間に入ってくると、集まっていた人々は歓声をあげて迎えた。花輪をかけることや、彼の足に触れることは厳しく禁じられた。まず「導師の祈り」が声高に唱えられ、続いて参加した人々と家族の短い一分間の紹介が行われた。バーバーはある者を抱きしめ、ある者の肩をたたき、ある者には口づけをし、一人ひとりに愛のこもった言葉や安否を尋ねる言葉をかけた。バーバーはアミヤを呼び、彼がバーバーをよりよく見られるように、部屋の前方の女性側に座らせた。その瞬間まで、アミヤはバーバーがこの集まりに自分が来ていることに気づいていないものと思っていた。
脚注
- 1.グスタジの残りの衣服や靴、鞄は、アディ・シニアが自分の使用人たちと貧しい人々に分け与えた。
