第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,221 / 5,444
1957年11月25日月曜日、メフル・ダマニアとブルジョル・メータがアフマドナガルで結婚した。ナリマンとカカ・バリアはメヘラザードから、パドリ、ヴィシュヌ、ドン、シドゥ、ジャングレはメヘラバードからやって来た。
29日の朝、二人は結婚衣装のままメヘラザードへやって来て、そこでバーバーは彼らを祝福し、「あなた方は二人とも、私のダーマンをしっかり掴んでいてください」と促した。
バーバーは1957年11月27日水曜日、メヘラザードで会議を開き、来たるサハヴァス集会についての決定を下した。ハリー・ケンモアも同席していた。
バーバーは次のように述べた。
私はハリーにとても満足しています。私に対する彼の愛情も、医師としての腕前も、どちらも気に入っています。彼は自分の仕事を100パーセント熟知しており、これまで私の身体を助けてくれた分だけ、私の働きをも助けてくれました。彼は満足のいく結果をもって最善を尽くしてくれました。しかし股関節の状態は非常に悪く、私がずっと申し上げてきたとおり、私が以前のように歩き回ることはもうできないということを彼も承知しています。彼も言っており、私も承知しているのですが、もし彼が数か月前に来てくれていたなら、私は今頃普通に歩き回っていたでしょう。しかしそれは定められていませんでした。私の事故は「事故」などではなく、すべては一つに帰着します。私が望んだことが起こり、私が望むことが起こるのです。
絶え間ない痛みは私の働きの妨げとなっていました。それゆえハリー・ケンモアが到来し、彼は大いに助けてくれました。彼は私の身体を構造的な均衡に整えてくれました。そして私は今、事故以来初めて、よい姿勢でまっすぐに立つことができるようになりました。この構造的均衡を保つため、彼は約一年は十分に注意し、ダルシャンやサハヴァスを与える際にも最大限の用心をするよう助言してくれました。私の身体に無理があってはならず、疲労を避け、力を要する動きは控えなければなりません。たとえばダルシャンの際に大勢の人々にプラサードを手渡したり、彼らから花輪をかけられたり抱きしめられたりするような動作です。私は12月にプーナとボンベイで行うダルシャンの際にも、それ以降にも、彼の助言に従うことに同意しました。
