第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,197 / 5,444
8月11日日曜日、そしてその二日後にも、メヘラザードで来たるべきサハヴァスについての会合が開かれた。12日にエルチはエルチャ・ミストリーにこう書き送った、「バーバーの痛みはますますひどくなり、マンダリと女性たちの間にはまったくなすすべがないという空気が立ち込めています。」バーバーの股関節があまりに痛むため、14日に西洋人たちには、一か月にわたるサハヴァスがバーバーに大きな負担となるとの理由で、1958年2月15日から始まる十二日間に予定を短縮することにしたと電報で伝えられた。
股関節のさらなる治療のため、バーバーは1957年8月24日土曜日、女性マンダリと共にメヘルジーのシボレーに乗ってプネーへ向かわれた。アディ・シニアがエルチ、バウ、サヴァク、ナリマンを乗せて運転した。彼らは再びガネシュキンドに滞在し、そこでジャルバイが合流した。
25日、バーバーはプネーの愛し子たち約80人をガネシュキンドに呼び寄せられ、午後3時にそこで音楽プログラムが行われた。ナヴサリのホシャング・バルーチャもその場に居合わせた。バーバーは「行為と無為」について談話され、無意識の無為、意識的な行為、意識的な無為の違いを詳しく説かれた。バーバーは説かれた ― 神の本来の「彼方の彼方」の状態には無意識の無為があり、一方で幻想の中で肉体において行われる行為は束縛を生み出す意識的行為であり、サッドグルやアバターの行為はほかの者たちの束縛を根こそぎにする無為の行為である、と。1
8月26日からバーバーは、股関節の変形性関節症のさらなる進行を食い止めようと、一連の治療と本格的な理学療法を始められた。プネー滞在中、バーバーはサスーン病院の放射線科医M・S・ディクシット博士と三度にわたる本格的な治療を受けられた。ドンは、バーバーの治療について有名な整形外科医カトラク博士に相談するため、ボンベイへ向かった。
バンデル一家は26日にバーバーにお目にかかった。バーバーはスバドラと父親との家族間のいさかいを収められた。バーバーは双方の話を聞いて二人を引き合わせ、彼らは和解して帰っていった。スバドラと兄のクリシュナもまたよく言い争った。
あるとき、バーバーはこうおっしゃった、「主クリシュナの時代にも、私はあなた方の争いを収めましたが、今回もまたそうしなければなりません! あなた方はそれぞれ、私と古い縁をお持ちなのです。」
バーバーがガネシュキンドに滞在しておられる間、ムールティ博士もダルシャンのために訪れた。
1957年8月31日土曜日、バーバーは午前9時、メヘルジーの車でゴヘルとドンに連れられ、有名な整形外科医アルヴィンド・ケシャヴ・タルワルカル博士の診察を受けるためにボンベイへ向かわれた。彼らはダダールにあるナオロジ・ダダチャンジの家に滞在し、タルワルカル博士はそこでバーバーを診察した。医師の見立てでは脱臼はなく、バーバーの痛みはもっぱら変形性関節症によるもので、たとえ手術を行うとしても少なくとも数年間は控えるべきだとのことだった。バーバーはその夜のうちにプネーへ戻り、午後9時に到着された。
脚注
- 1.この談話のより完全な説明については4738ページを参照のこと。1958年5月24日、マートル・ビーチ。
