第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,173 / 5,444
人が地面を動く蟻を見て、その蟻に嫉妬を覚えることなどあるでしょうか?蟻と人は地面の同じ高さを動きますが、その意識には天地の差があります。例えば、蟻はこの機械時代の複雑さを決して理解することができません。
蟻、普通の人、そして私は同じ大地の上を歩みますが、普通の人の意識と私の意識との差は、蟻の意識と普通の人の意識との差と同じほどあります!動物界の中でも、蟻と象の意識には甚大な差があります。象が蟻に嫉妬し、わざとその蟻を踏みつけたことが、これまでにあるでしょうか?
私の帰依者の一人がボンベイのある特定のマストに会いたいと熱烈に望み、また他の数名は、自らをこの時代のアバターであると主張する別の誰かの主張に深く心を寄せているようです。これは私に疑問を抱かせます。私を最も高きものの中の最も高きものとみなすあなた方が、他のすべての人々を差し置いて、なぜ他の人物を追いかけるのか、と。
この件について、バーバーは一通の手紙の一節に言及し、それを読み上げさせた。その中で彼は次のように述べていた:
「誰も責められるべきではありません。誰の落ち度でもありません。この聖なる遊戯を始めたのは、神の根源の気まぐれと根源の衝動であり、神はそれを自身の犠牲においても楽しみ得るのです。」
バーバーは続けた:
インドに本物の聖者がいないと申し上げているのではありません。
[彼はよく知られた聖者を数名挙げた。]
大衆には知られていない、本物の聖者も幾人かいます。世に知られた聖者たちと比べれば、これらの隠れた聖者たちのほうがはるかに進んでいます。ただしこの点について、私は権威をもってあなた方に伝えたいのですが、隠れた聖者も知られた聖者も、いずれも「真我(Self)」を実現してはいません。特定の言葉や言い回しが用いられているからといって、惑わされてはなりません。もし誰かがあなた方を「親愛なる真我よ」と呼びかけたとしても、その者が「悟りの目標」に達したと思い込んではなりません。
