第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,149 / 5,444
ジャルバイはラムジューについて愚痴をこぼし、最後にこう言った。「彼はわざとやったのです、バーバー。他の者たちが外で待っていることを知っていたのです」ラムジューは黙ったままだった。結局、バーバーは彼らを赦した。
その日、パドリはサロシュの車でバーバーをメヘラバードへ送り、アランガオンの村人たちによる誕生日祝賀の様子を見物させた。
隠棲が終わると、バーバーは車椅子に座ったまま、ほぼ毎朝、男性マンダリと面会するようになった。1957年3月1日午前9時30分、サロシュがアフマドナガルからケトカル博士を連れて来た。事故以来初めて、バーバーは何の支えもなく立たされた。彼はそうできるようになったことをたいそう喜んだ。その日の午後、アフマドナガルのブース病院で再度レントゲン撮影が行われた。そのレントゲン写真は翌日サロシュを通じてビンドラ・ハウスのドンへ送られ、チャタジー博士に示されたが、博士は結果に満足した。1チャタジーは、バーバーが松葉杖をついて、あるいは左右の男たちの肩に手を置いて歩き始めてもよいが、最初はゆっくりとでなければならないと言った。ドンは3日にメヘラザードへ来て、バーバーの治療を監督するためそこに滞在し始めた。4日の午後、ドンの介助のもと、バーバーは事故以来初めて数歩を踏み出してみた。松葉杖を使って彼はたどたどしい足取りで動き、歩くことはさらなる痛みをもたらした。しかし男たちも女たちも、バーバーの回復が次の段階へ進み始めたことに安堵し、喜んだ。
翌日、寝室内での歩く速さと往復回数は一日二度それぞれ数分ずつへと増やされ、その後に伴う痛みもいとわず、バーバーはもっと続けたがっているようであった。医師たちは3月の終わりまで右脚に全体重をかけないよう助言しており、女性たちは彼にもっとゆっくり動くよう言い聞かせ続けねばならなかった。夜になると彼は落ち着かず、脚に痙攣を起こすこともあったが、それでも毎日歩く練習を続けた。3月8日になると、バーバーは松葉杖の助けだけで動き回るようになり、歩幅は広がり、足取りも早くなった。
バーバーはムスリムの少年イスマイルをサタラからメヘラザードへ呼び寄せた。イスマイルは留まってバーバーとともに暮らすことを望んだが、バウによる個人教授が終わっていたため(バウは大いに安堵した)、バーバーは祝福を与えて彼をサタラへ送り返すことに決めた。イスマイルはのちに軍隊に入り、そこで非常によくやり遂げ、短期間に何度も昇進した。
脚注
- 1.ドンはなおサタラのローズウッドに滞在していた。
