第31章: インドの大地に流れた血
1957年· ババ 63歳ページ 4,146 / 5,444
1957年2月3日日曜日、ペンドゥはシドゥとアロバに付き添われ、救急車でプーナに運ばれた。彼はバーバーに会うためにシルバー・オークスへ運ばれ、訪れていたボンベイとプーナの親しいラバー数人を見ると、ペンドゥは感極まって泣き出した。バーバーは車椅子で出てきてペンドゥに会い、冗談を言ったり話したりして彼に勇気を与えた。
「私たち二人とも起き上がって一緒に歩くようになりますよ」と、バーバーは彼を安心させた。
「ですがあなたは、それらすべてを黙って耐えていらっしゃいます」とペンドゥは言った。
バーバーは答えた。「あなたは元気になって、また歩けるようになります。しかし私は、二度と普通に歩くことはできないでしょう。私の股関節もまた、決して元には戻らないでしょう」
軍病院で診察を受けたあと、ペンドゥはアフマドナガルへ送られ、療養のためアクバル・プレスのサタ家とともに滞在した。両脚の石膏ギプスは外されたが、ペンドゥもまだ立ち上がることはできなかった。アロバが彼の世話を任され、治療の手配も整えられた。一か月後、ペンドゥはヴィシュヌと同様にメヘラバードへ送られた。こうしてサタラでの滞在は幕を閉じた。バーバーは二度とそこへ戻ることはなかった。
1957年2月12日火曜日午前9時30分、バーバーはドンとメヘルジーとともに、メヘルジーの車でプーナからメヘラザードへ向かった。女性たちはアディの車であとを追った。一行は一時頃に到着した。バイドゥルとバギラトは数日前の7日にすでに荷物を運び入れていた。エルチ、バウ、サヴァクは11日の午後9時に列車で到着し、グスタジ、カイコバード、ジャルバイは翌日に到着した。怪我のため、バーバーは今後数か月間、メヘラザードの一階の寝室を使うことに同意した。
バーバーの一年間の隠棲は、2月15日金曜日に終わる予定であった。かねて発表されていた通り、バーバーは貧しい人々700人に布と菓子を配ることを望んでいた。パドリ、カカ、チャガン、アディは一か月前に、貧しい人々を探し当ててその日にメヘラザードへ連れてくるよう指示されていた。その日、バーバーは水も口にせず24時間断食する予定であった。それに従い、近隣のさまざまな村から貧しい人々700人が連れてこられた。布とラドゥーを満載したトラックが到着し、それらは山積みやかごにまとめられた。バーバーの意向に従って、プカルが手伝いのためハミルプルから来ており、アフマドナガルのラバーたちもこの催しに参列していた。
催しは午前9時に始まった。カカの部屋は、出入口として使える二つの扉があったため、催しの会場に選ばれていた。正面の扉が出口、裏の扉が入口とされ、貧しい人々はそこから一人ずつ急いで中へと通された。入口と出口の外側には、防水布で仮の屋根が張られていた。バーバーは正面入口の右手の隅に車椅子で座っていた。二ヤードの長さに切られた白布の山が、配布のためにバーバーの傍らに用意されていた。それは男性のシャツを仕立てるのに十分な布であった。布の山の傍らには、ラドゥーを入れたかごが並べられていた。
