第31章: インドの大地に流れた血
1956年· ババ 62歳ページ 4,135 / 5,444
事故の翌朝、1956年12月3日、激しい痛みの中にあったにもかかわらず、バーバーはこう語った。
ハンガリー人たちは最近の[ロシア人に対する]闘争で大いに苦しみました。多くの者たちが、愛する人々からも、看護や痛みを和らげるものからも引き離されたまま、傷を負い、無力なまま路上に横たわっていました。少なくとも私は寝床に横たわり、良き医師たちの手当てを受け、そばに居る者も居らぬ者も含めて、私のすべての愛する者たちの愛に包まれています。
数日前、バーバーはこう述べていた。
誰一人として無駄に苦しむ者はありません。なぜなら、真の自由とは霊的自由のことであり、苦しみはその自由へと至る梯子だからです。人は知らずして神のために苦しみ、神は知りつつして人のために苦しむのです。
ヴィシュヌ(ニルと非常に親しかった)とサダシヴ・パティルは、その日ニルの遺体を車でメヘラバードへ運び、そこで火葬に付した。ニルの遺灰は後に、下メヘラバードのドゥニ[聖火]の近くに埋葬された。
バーバーはこう述べた。「ニルは私の肉体のそばで息を引き取れたという点で、とりわけ恵まれていました。それは彼自身が望んでいたとおりでもあります。」
ニルは、自分が死ぬ番が来たら、即死で、しかもバーバーの肉体的な御前でそうあってほしいと冗談を言うのが常で、バーバーもそれを取り上げて彼をからかったものだった。それゆえ、彼の死は実際に彼が望んでいたとおりのものとなった。バーバーはその前の週、ニルに対して格別に優しく、時には彼のために甘い菓子を取り寄せさせることさえあった。そして今、ほかのマンダリにもその理由が分かった。
3日の真夜中、ドン(メヘルジーとともにプーナへ行っていた)は、プーナからV・バンソド博士という整骨医を連れて来た。バンソド博士はバーバーに副木を当て、脚の先端に砂袋の重しを掛けさせた。そののち、バーバーは三時間ほど眠ることができた。ジャルバイとメヘルジー、サワクが夜通しの見守りを分担した。アディ・シニアとサロシュはアディの車で到着し、それに合わせて、メヘルワンとヌッセルワンがサスーン病院からエルチのために手配した救急車もやって来た。サロシュはメヘルジーの車でバンソド博士をプーナへ送り届けた。
4日には、エルチをプーナへ移さないことが決まったため、救急車は引き返させた。ラムジューとヌッセルワンはマニとアディ・シニアとともにバーバーに面会し、事故に関する『ライフ・サーキュラー』に盛り込む要点が検討された。その後、アディ、ワマン、カカ・バリア、ヌッセルワンはアフマドナガルへ戻った。
副木は4日に取り外された。脚を枕の上に載せた状態では、かえって痛みを増しているように思われたためである。12月6日、バーバーの骨盤と右脚全体が市民病院でギプスで固定された。これは助けにはなったが、繰り返す筋肉の痙攣とこむら返りに見舞われ、ひどい痛みに苦しんだ。痙攣を和らげる注射も効き目がなかった。
