第31章: インドの大地に流れた血
1956年· ババ 62歳ページ 4,129 / 5,444
それから彼はマンダリに尋ねた。「2日をどう過ごせばよいでしょうか? その日は水さえ口にできませんから、渇きと空腹の苦痛を避けるために、何かしらの工夫が必要です。」
長い議論が続き、バーバーはこう提案した。「その日にプーナへ行って、日曜のクリケットの試合を観戦し、夕方に戻るというのはいかがでしょう。試合を見ることに没頭していれば、私たちは喉の渇きや空腹を感じずにすむでしょう。」
男性マンダリは同意し、バーバーが使えるようにサタラに置かれていたナリマンの車で、プーナへ向かうことに決まった。
ヴィシュヌは何かの用事で1日にプーナへ発っており、バーバーは彼に、2日の夕方に一行がサタラへ戻る際に合流するように告げた。メヘルジーは1日にプーナからサタラに呼ばれ、ソーダ水を数箱持って来るよう指示された。彼がサタラへ来るときはバスで来ること、これがバーバーからの常からの命令であった。しかし、ソーダ水を持って来るよう言われていたために、メヘルジーは新しく輸入したシボレーを運転してサタラへやって来た。彼が到着すると、バーバーは彼にひどく腹を立てた。
「なぜ私の命令を破って自分の車で来たのですか?すぐにプーナへ送り返しなさい。」
そこでメヘルジーは運転手に車をプーナへ送り返させ、自分はその夜は泊まることにした。
クリケットの試合を楽しみに行くという口実で、バーバーは12月2日、エルチ、ペンドゥ、メヘルジー、ニルを伴い、ナリマンの1952年型ツートン・ブルーのシボレーに乗ってサタラを発ち、プーナへ向かった。道中、バーバーはニルと席を替わり、前の座席から後ろの座席へ移った。
寒く曇った、どんよりとした日であった。彼らがプーナに着いたばかりの頃、ネルー首相とともに市内を訪れていた中国の周恩来首相の公式車列のために、車はスワルゲート付近で停止させられた。周恩来とネルーは、中央水力動力研究所と国立ペニシリン工場を訪れるべく、ピンプリへ向かう途中であった。1ニルは車から降りて彼らが通り過ぎるのを見たがっていたが、バーバーは渋い顔をして首を振った。ニルが食い下がると、ついにバーバーも折れた。ニルは少し離れた交差点まで歩いて行き、周恩来とネルーを乗せた車が走り抜ける際に道路の脇に立っていた。それからバーバーの車へ戻った。
プーナでジャルバイが一行に合流し、彼らはクリケット場へ向かい、木陰に車を停めて試合を観戦し始めた。バーバーは車内に座り、マンダリはその傍らに立っていた。ジャルバイは、誰が打席に立っているのか、また点数はどうなっているのかを確かめるために、たびたび遣わされた。断食中であったにもかかわらず、バーバーはマンダリの一人ひとりにバナナを一本ずつ与えて食べさせた。
脚注
- 1.周恩来は1956年12月1日、デリーからプーナに到着していた。
