第31章: インドの大地に流れた血
1956年· ババ 62歳ページ 4,127 / 5,444
1956年11月8日、アメリカにいるバーバーの愛する者たちは、個人的な事柄について触れたり質問したりせず、ただちに彼に短い個人的な手紙を書くよう求められた。同じ指示が、11月27日にイギリス、ヨーロッパ、オーストラリアにいる者たちにも送られた。29日、バーバーはアディに、その後1956年12月2日に発行された回覧を通じて、インド、パキスタン、セイロン、アフリカにいる者たちにもこの指示を伝えるよう命じた。
バーバーはこの時、彼の親しい弟子のうちの何人かが健康・財政、その他の心配ごとに関して深刻な危機や困難を経験している理由は、彼らが宇宙のために彼が背負う重荷の、ごく僅かな部分を分かち合っているからだと述べた。
彼はこう述べた。「積極的に働いていた私の五人の完全なる導師たちが肉体を去った今、私はその重荷をすべて自ら背負っており、それを分かち合う者たちは皆、誰よりも幸運な者たちです。」
また同じ頃、ポール・ブラントン(『秘密のインドを求めて』の著者)が三十年近くぶりにバーバーに手紙を書き、その手紙が読み上げられた。バウは彼の手紙をアディに転送するよう指示され、合わせてバーバーからの依頼として、ブラントンに『神は語る』を一部送るようにとの伝言が託された。アディは彼と文通を続けていた。
1956年11月16日(金曜日)、バーバーはペンドゥ、ニル、バイドゥル、そして運転を担当したエルチを伴い、ナリマンのツートン・ブルーのシボレーに乗ってサタラを発ち、ウッタル・プラデーシュへのマスト[神に酔う者]巡訪へと出発した。彼らはまずメヘラザードへ向かい、そこで一晩を過ごした。16日午後二時、アディ・シニアとグルマイがメヘラザードに呼ばれた。それに先立つ数ヶ月の間、グルマイは非常に落ち着かない状態にあり、バーバーの幻影を見ると訴え、夜もよく眠れずにいた。
バーバーは彼女を安心させた。「今のあなたの苦しみについて心配なさらないでください。あなたは贖いを得て、再生からの解脱に至るでしょう。」
その年は雨季が異常に遅く、ある場所では、車を小川の片岸からもう一方の岸へと船で渡さなければならなかった。旅は昼夜を問わず続けられた。ある場所で、彼らはチャタルプールのマハラジャの邸宅に滞在中だという、シャリル・ババと呼ばれる非常に高位のヒンドゥー教徒のマストの存在を知った。しかし、そのマストはその日の午後三時にそこを発つ予定であり、すでに午後一時になっていた。
バーバーはこれまで一度もこのマストと共に働いたことがなかったため、彼と接触することを切に望んでいた。彼らは町や村を縫って続く荒れた道を、命がけの速さで走り抜け、二時間で128マイルを走破して、ちょうど午後三時にチャタルプールに到着した。そのマストは非常に高齢で、自らの尿を飲むことを常としていた。
