彼は、彼らがどれほどバーバーに来ていただきたいと願っているかを語って締めくくっています。「……私たち自身の益はさておき、完全なる導師がその聖なる御足で踏まれたことのない国は、死せる国であると私たちは信じます。そのような祝福された御方が一つの国においでくださることは、その国に種を蒔くことであり、いずれ真の意味でその国を生き生きとした、文明化された国にいたします。私たちはバーバーにお越しいただきたいのですが、そのお越しが本物であってほしいのです——私たちの願いからではなく、バーバーご自身の最も愛しい御胸より湧き上がる、ご自身の慈しみからのものでありますように……」
マニは手紙をこう結んだ。
これに私が付け加えられることは、ほとんどありません。私は[フランシス]に電報を送りました。「バーバー、正確なる理解に大いに歓ぶ。バーバーは今や五日間オーストラリアに本当に行くという決定を告ぐ。全員に知らせよ。」(記憶を頼りに書いておりますので一字一句正確ではないかもしれませんが、ほぼこの通りです。)
フランシスはこの説明を受けるや否や、シドニーの北側十二マイルにある郊外ビーコン・ヒルでの最終建築作業の速度を上げた。四年前、フランシスはこの場所に、特にバーバーが使われるための砂岩のセンターを建てると決めていた。エナ・レモンとの「言い争い」にもかかわらず、フランシスはずっと、いつかバーバーがオーストラリアを訪れてくださることを密かに願ってきた。元々は自身のスーフィー組織の拠点として構想していたその場所に、フランシスはメヘル・バーバーの信奉者たちのための精巧な「訓練センター」の設計を作り上げ、それを地元のシャイア議会に提出した。その建設工事は長年、初期シドニーの信奉者たちの主要な仕事であり、フランシス自身は現場の小さな「洞窟小屋」で質素な生活を送っていた。他の初期オーストラリアのバーバー・ラヴァーたちも、手伝うために、進行中の工事現場近くの梱包用木箱やその他利用できる構造物の中で一定期間を過ごしていた。したがって、エナの招待に対するフランシスの態度が厳しかったのは、ただ、バーバーが自分の密かな願いのためではなく、ご自身の選択でいらっしゃるということを、完全に確信したかったからにすぎなかった。
バーバーは後にフランシスのセンターをメヘル・ハウス(Meher House)と名付け、そこは今もオーストラリアにある二つの主要なバーバー・センターの一つとなっている。そこは香り高い野花の咲き誇る、海沿いの高台にある広い灌木地に位置していた。1当時、ここはシドニーの茂み深い郊外であり、いまだ蛇やその他の野生動物に満ちていた。その敷地は北シドニー唯一の丘であり、シドニー湾を一望に見渡すことができた。2