第30章: 1956年西洋への旅
1956年· ババ 62歳ページ 4,016 / 5,444
バーバーは自宅のポーチに足を踏み入れ、高い木々の向こうに広がる湖と海の景色をちらりと眺めた。それから左に目をやり、自分のために用意された新しいポーチのブランコを見つめた。バーバーがそれに腰かけると、ダーウィンが言った。「バーバー、これを見ますと、1954年にサコリでブランコに座らせていただいた時のことを思い出します。」バーバーは家の主居間へと歩を進め、その場の全員が後に続いた。キティは4年の別離を経て、バーバーと再会していた。今こうしてバーバーのそばにいると、長い不在の年月は完全に消え去るかのようだった。彼女は1952年の訪問の折にメヘラと東洋の女性たちが滞在したゲストハウスへ、バーバーの昼食を用意しに向かった。
それから間もなく、バーバーとマンダリは車でゲストハウスへ向かった。1エルチは1952年には同行していなかったので、バーバーは彼を崖のふちまで連れて行き、すばらしい眺めを見せた。ゲストハウスで昼食をとったあと、バーバーは体調がすぐれず近くの小さなキャビンで休んでいたノリーナ・マチャベッリのもとを訪ねた。バーバーは彼女をやさしく抱きしめ、しばらく語り合ったのち、潟の上にかかる長く狭い木の橋を渡って向こう岸のキャビンへ歩いていった。
ニューヨークの一行がすでに到着していた。一部は昼食をとっており、一部はバーバーをひと目見ようと待ち構えていた。一行のうちセンターに滞在していたのは約半数で、残りは場所が足りないため、町のさまざまなホテルやモーテル(ラファイエット・マナーなど)に泊まらざるを得なかった。エリザベスは苦心して、バーバーと共にセンターに滞在できる最大35人分の宿を整えていた。しかしバーバーの場合いつものことだが、滞在者の名簿には次々と名が加えられ、ついには合計48人にまで膨らんだ。しかしバーバーは、外に滞在している者も含めて毎日全員にビュッフェ式の昼食を出すよう指示していたため、ある日には客が150人にも上ることがあった。これらの段取りはミュリエル・ヒューストンが取り仕切り、エリザベスの料理人ベシー・グラハムと彼女の二人の娘たちがそれを手伝った。
バーバーは自分とともに飛行機で来なかった者たちを慈愛をもって迎え、センターに滞在していない者たちには午後3時までに必ず戻り、納屋へ来てほしいと告げた。
3時の少し前、バーバーは軽やかで素早い足取りで潟の橋を大股に渡って姿を現した。ニルーはバーバーを日差しから守ろうとその頭上に傘を掲げ続けようとしたが、その歩みに追いつくにはほとんど駆けるようにしなければならなかった。
脚注
- 1.このセンター訪問のあいだ、マンダリはバーバーとともにその自宅に滞在していた。
