第30章: 1956年西洋への旅
1956年· ババ 62歳ページ 3,973 / 5,444
ホテルに集まった人々の中には、フレッド・マークス、トムとドロシー・ホプキンソン、チャールズ・パードムの息子エドマンド、ディリアの弟ジャック・デ・レオン、それにアニータとロジェ・ヴィエヤールもいた。バーバーはまた、最近ロンドンに移ってきた弟のアディ・ジュニアとその妻フラニ、息子のダラにも会った。(アディ・ジュニアはフレッド・マークスと共に骨董商の共同経営者になっていた。)
7月18日、午前9時30分から、バーバーは十四回の個人面会を許した。ヘディが最初に呼ばれた。バーバーはアニータとロジェにフィリップ・デュピュイについて語った。フィリップは1952年にマートル・ビーチで初めてバーバーに会い、1954年にメヘラバードで開かれた「驚くべき三週間」プログラムに参加した西洋の男性の一人だった。バーバーはロジェに、デュピュイに電話をして、可能なら来て五分間バーバーに会い、すぐに戻るよう伝えてほしいと頼んだ。ウィル・バケットはジョフルをバーバーに会わせるために連れてきた。サタラでバーバーに会ったマンチェスター出身の青年キース・セッカーが、次に面会を受けた。
アルナヴァズの兄弟ホーマ・ダダチャンジもロンドンに来ていた。彼は飛行機事故での兄弟ノザールの死をひどく悲しんでいた。
バーバーは彼を慰めて言った。「ノザールは最後の息を引き取るまで私を覚えていてくれましたし、今は私と共にいます。ですからあなたは喜んでください。皆は私の中にいるのですから、心配なさらないでください。彼は私のもとへ来たのです。」
アイリーン・ビロと個別に会ったあと、バーバーはJ・M・ピュイネルに対して、知識と確信の三つの形態——知性によるもの、目で見ることによるもの、そして「成ること」によるもの——について説明した。
幼い二人の子供を持つ31歳の俳優エドマンド・パードムは、最近離婚していた。
バーバーは彼にこう言った。「執着を無視してはなりませんが、その奴隷になってもいけません——時々は私のことを思いなさい。」
エドマンドは「もちろんです、私は父によってあなたの愛と教えの雰囲気の中で育てられてきました」と答えた。1
47歳のロベール・アントニとその妻52歳のイヴォンヌというフランス人夫婦が、アンドレ・アロンと共にバーバーに会うためパリからやって来ていた。イヴォンヌは1940年、パリでドイツ軍の空襲のさなかに初めてバーバーのことを聞いた。空襲が始まったとき彼女は友人を訪ねており、二人は急いで地下の避難所へ降りた。警報が解除されたときにはエレベーターが動いておらず、二人は六階まで歩いて上がらなければならなかった。その途中、二人は四階のアパートにたどり着く一人の老婦人を助けたが、玄関に着いた時その老婦人は両手を合わせて「ありがとう、バーバー」と言った。
脚注
- 1.皮肉なことに数年後、エドマンド・パードムは聖書預言を扱ったドキュメンタリー『キリスト再臨の七つのしるし』の司会兼ナレーターに起用された。
