第30章: 1956年西洋への旅
1956年· ババ 62歳ページ 3,970 / 5,444
バーバーの食事に関して別の機会には、1956年6月4日、マニはアイビーに次のように書き送った——
バーバーの食事についての愛情こもったお問い合わせへのお返事として、キティーへダール[豆料理]などを船便でお送りしようとしていたのですが、旅程について話していた折にこの話題が出て、バーバーは私がそれをお送りすることをはっきりと望まれません。バーバーはこちらではいつもダールとご飯を召し上がっていますので、西方にいらっしゃる間は食事がすっかり変わることを望んでおられ、西洋の食事を召し上がるおつもりです。バーバーはどなたにも食事のことでご心配いただきたくなく、キティー(およびニューヨークやその他の地で関わっておられる方々)が、バーバーのために調理に時間を費やすことも望まれません。皆さまにはできるだけ多くバーバーと共にいてほしい、というのがバーバーの願いだからです。どうかこれをエナジーにお伝えください——私も次にニューヨークのグループへ送る手紙の中で、改めてこの旨を書くつもりです……。
インドのジャワハルラール・ネルー首相は、ドワイト・アイゼンハワー大統領の招きを受け、7月6日から10日までアメリカを訪問することになっていた。バーバーは自分の訪問がネルー首相の訪問と重なることを望まなかったため、当初の計画通り7月の第一週にインドを発つのではなく、7月中旬に発つことに決めた。(その後、アイゼンハワー大統領の健康がすぐれなかったため、ネルー首相の訪問は12月に延期されることとなった。)
エルチとニルーを伴い、バーバーは1956年7月16日にサタラを発ってボンベイへ向かい、その日はアシアナに滞在した。アディ・シニアとメヘルジーもそこで合流した。バーバーはまだ隠遁中であり、インド全土から、ボンベイ空港で見送りに立ち会わせてほしいとの願いが数百件寄せられたが、バーバーはそれを許さなかった。バーバーは、西方の愛する者たちにサハヴァス[共に過ごす聖なる時間]を与えるためだけに、わずか一か月のあいだ隠遁を解くのだと示した。
その夜の真夜中、バーバーはエルチ、ニルー、アディ・シニア、メヘルジーとともに、サンタクルーズ空港からエア・インディア103便(エコノミー・クラス)で飛び立った。ロンドンへの途上、飛行機はダマスカスとベイルートにそれぞれ約一時間ずつ立ち寄った。午後にはチューリッヒのクローテン空港に到着し、そこでバーバーは約35人のヨーロッパの人々と会った。ヘディ・メルテンス、アイリーン・ビロ、ヘレン・ダーム、マックスとギゼラ・ヘフリガー夫妻とその三人の娘など、近しい愛する者たちは、バーバーとマンダリが飛行機から降り、アイリーンが予約しておいた会議室まで歩いていく様子を空港のバルコニーから見つめた。バーバーはヘディ、アイリーン、マックスを抱擁し、続いて他の人たちを一人ずつ抱擁した。ヘディは、娘のアンナカタリーナが午後4時15分より前には来られないため、バーバーに会えないのではないかとひどく気を揉んでいたが、嵐のためにバーバーの飛行機は「たまたま」一時間遅れ、彼女もまた抱擁を受けることができた。
