Chapter 1: Age Is Shedding Tears
TAJUDDIN BABA
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ラール・コティに数か月滞在した後、タージュッディンは本拠地をナーグプルの外約十一マイルの郊外、ヴァキへ移した。そこで彼は、広大な土地を持つカシナート・ラオ・パテルという名のヒンドゥーの弟子の家に住んだ。その土地はタージュッディンの目的にふさわしかった。多くの人々が毎日、師のダルシャンを受けるためにそこへ集まったからである。まもなく小さな町が生まれ、タージュッディンはそれをチョータ [小さな] ナーグプルと呼んだ。
チョータ・ナーグプルで、タージュッディンは自分の活動のために、その屋敷の土地をいくつかの区画に再編した。彼の住まいを囲む特定の一画は空けたままにされ、彼はそこをヴァキ・シャリフ [高貴な町] と名づけた。その土地は五つの主要な区画に分けられた。西へ四分の一マイルほど離れた所に、タージュッディンの診療所があった。しかしそこには医療施設も医師もいなかった。病人や患う者たちに、タージュッディンが留まるよう告げた一本の孤立したマンゴーの木があるだけだった。その木の下に留まるだけで、タージュッディンの患者たちは自然に治癒した。霊的な医師のナザル [まなざし] だけで、彼らは癒やされた。「マンゴー診療所」の近くで、タージュッディンはある場所を指さし、そこをマドラサ [学校] と名づけた。学生たちは試験に合格するためにタージュッディンの助けを求めて来た。彼はただ自分のマドラサに座っていなさいと指示することで、彼らの願いに応じた。必然的に、やって来た少年少女は皆、試験に合格した。
別の不毛の一画は、法廷と呼ばれた。経済的に苦しむ者、あるいは訴訟や裁判沙汰に直面している者は、タージュッディンの法廷へ送られた。必然的に、彼らもまた救いを見いだした。師の席の近くにある別の場所は、彼のモスク [イスラム礼拝所] と呼ばれた。ただ霊的な目的だけで来て、神を見ることに渇いている者たちは、そこへ送られた。
北の方には、タージュッディンが練兵場と名づけた開けた野原があった。ここで師は、人々を送り、霊的な意味を持つ身体運動をさせた。運動をさせたり、前後に行進させたりすることで、師は追随者たちが自我、すなわち低い自己との戦いに臨む準備をさせていた。ヴァキ・シャリフは、日々の霊的な祝祭の会場となった。あらゆる種類の病気や世俗の問題は、タージュッディンの愛に満ちたまなざしから滴る酒によって扱われた。彼のナザルは彼らの慰めであり治療薬であり、誰一人、手ぶらでも胸を空にしても去ることはなかった。
ある日、ヴァキ・シャリフで激しく雨が降っている時、タージュッディンが大群衆を従え、土砂降りの中を行ったり来たり歩いているのが見られた。ある時点で、彼は敷地を出て道の方へ向かった。
