第3章: マンジル-エ-ミーム
1923年· ババ 29歳ページ 379 / 5,444
しかし、彼の目が今にも閉じそうになると、バーバーが足で軽く突き、起きていなさいと告げるのだった。
1923年1月下旬、メヘル・バーバーとマンダリへの批判が地元のグジャラート語新聞に載り始めた。その数日前には、同じ新聞でウパスニ・マハラジも批判されていた。大衆はバーバーと、その破廉恥な追従者の一団から遠ざかるよう警告された。師は新聞編集者の批判には全く意を介さず、また誰にも反論文を書かせようとはしなかった。
この警告が新聞に載って以降、メヘル・バーバーに会いに来ようとしたのは、わずかな勇気ある人々だけであった。それゆえこの警告は、それなりの仕方で、バーバーの働きに助けとなった。誠実なわずかな者たちだけを連れて来てくれたからである。彼らは、よく考え、あらゆる利点と難点を量った末に、敢えて彼に会いに来た者たちであった。実のところ、メヘル・バーバーには警戒すべきなのである。火に近づき、そこに飛び込むことは、勇者にのみ許されたことなのだ。
ガニーは毎日朝寝坊をする癖があり、そのため早朝のクリケットの試合には加わらなかった。そこでバーバーは彼を試合から外し、寝るに任せた。ガニーは大いに喜んだが、その喜びは長く続かなかった。彼の部屋は、試合が行われていたマンジルの裏庭に面していた。彼のベッドは、いくつもの小さな窓ガラスに分かれた大きな窓の下の壁際に置かれていた。試合の最中、バーバーはボールをその窓ガラスのひとつに向けて勢いよく投げ、ときにガラスを割ってしまうのだった。ガニーは突然たたき起こされて、恐怖に駆られながら窓の外を覗き見るのだった。あるとき、バーバーが投げたボールは最も大きなガラス窓を粉々に砕き、ガニーは衝撃で目を覚ました。「あなたが故意に私の窓にボールを投げるのに、どうして眠れますでしょうか!」と彼は怒って叫んだ。「わざとなさっているのは、私にも分かっておりますよ!」
バーバーはこう答えた。「唯一の解決策は、あなたが他の者たちと一緒に早く起き、午後に寝ることです!」
マンジル-エ-ミームの弟子たちは皆、師と共にあるこの〈道〉においては、睡眠もいかなる個人的嗜好も禁忌であることを学びつつあった。愛しいお方の路地に踏み入ることそれ自体が、難しい。一たびそこに入れば、初めから終わりまで苦しみが伴う。だが弟子は同時に至福をも経験する。この苦しみと、憧れの痛みがなければ、弟子にとって人生は空虚なものに思える。
バーバーは弟子たちの弱点をあげつらったり、彼らが怒り出すまでからかったりする癖があり、そしてにっこりとしてこう仰った。「あなたの負けです。」
