第27章: サタラ
1955年· ババ 61歳ページ 3,696 / 5,444
トゥカラムもまたこう言いました。「導師たちの道は、世の道と矛盾しています。」
これらすべての説明によって、私が自分の行為を正当化しようとしていると思わないでください。フォルモサ[台湾]問題は、大きな破壊をもたらす恐れがあったのではありませんか?ネールでさえ、ある演説で世界の半分が破壊され得ると言いました。時間という要素を除けば、私が述べたことはすべて実現します。私が何を言ったとしても、神が私にそれを言わせたのです。
今から私が言うことを、よく注意して聞いてください。一九五五年五月から七月までの三か月間は、妻や子供やお金のことをあまり考えないでください。アバターが身体を捨てる必要に迫られるかもしれない時に、そのような思いを抱いてよいのでしょうか?現役の兵士たちは、ただ一片の土地を得るためにも、進んで命を犠牲にします。アバターのために命を犠牲にすることが、それほど大事なことでしょうか?そのような覚悟を持てないなら、会合に出席するためにここへ来たことは、ピクニックに来たのと変わりません!
さて、もう一つあります。あらゆる説明や文章は、実在とは何の関係もありません。それはすべて言葉の戯れであり、永続する価値はありません。実在は心を超え、知性を超えています。自分は実在を知的に理解したと言うその事実こそ、あなたがそれを誤解していることを示しています!真の理解を得るには、意識は残り、知性(心)は去らなければなりません。それは、ラフリのマッド・アシュラムにいるプンジア[収容者]のように狂うという意味ではありません!私が言いたいのは、知性は、胸が受け入れた目的を真心を込めて成し遂げる手段であるべきだということです。そして、あなたが全身全霊で私に従うなら、知性は去り、意識は残ります。
人は非常に知的であっても、サッドグルと共にいる幸運を持たなければ、真我実現を得ることはありません。反対に、たとえ鈍い人であっても、完全なる導師と共にいるというまれな幸運を持つなら、真我実現を得ることができます。そして、非常に知的であると同時に、完全なる導師への愛とその方と共にいる幸運を持つ人には、私自身が頭を下げます。
完全なる導師と接触した後でさえ、その方に従うことは非常に難しいのです。仮にあなたが私を完全なるお方だと信じ、私に従っている最中に、私の完全性を疑う思いが一瞬よぎったとしても、それは完全な服従ではありません。
