第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 366 / 5,444
11月までには広告ポスターとチラシが印刷され、ルストムの法的後援のもと「サークル・アンド・カンパニー」という出版社が設立された。バーバーはマンジルの人々に、市内各地の決められた場所でチラシを配布しポスターを貼ることについて、具体的な指示を与えられた。
11月3日、バーバーはガニーに対し、ジュンマー・マスジドのムスリム地区でウパスニ・マハラジの写真が刷られたポスターを貼ってその本を宣伝し、そこにいるムスリムたちにチラシを配るよう命じられた。ガニーはしぶしぶ、アスパンディアール(ペンドゥ、ゾロアスター教徒)とアルジュン(ヒンドゥー教徒)を伴って、その人気のあるモスクへ向かった。ガニーはかねてよりこのモスクに足繁く通っていた。仲間のムスリムたちは、彼がヒンドゥーのグルのポスターをモスクの壁に貼っているのを見て、彼をからかい嘲笑した。
次にバーバーは、同じ目的——ウパスニ・マハラジの近刊伝記の宣伝——のために、カッチ・モハッラ地区のジャカリア・マスジドという別のモスクへラムジューを遣わされた。同じくムスリムであったラムジューはその一帯でよく知られており、別の者を遣わしてくださるようにとバーバーに懇願した。バーバーは彼を免じることをお許しになり、別のムスリムであるアブドゥル・レフマーンにそのモスクへ行くよう命じられた。そしてラムジューはプール・ガリ(花の小路)へ送られ、間もなく刊行される本を宣伝するよう命じられた。ラムジューはそこにあるモスクの扉や壁にポスターを貼り、ムスリムたちが祈りを終えると入口に立ち、本に関するチラシを配った。しかしラムジューも非難を免れず、彼もまたそこのムスリムたちから嘲弄され、侮辱された。
11月15日に『ガリーボーン・カ・アーサラ』千部が印刷所から届き、本の販売はマンジル-エ-ミームの日常的な活動となった。ルストムとヴァジフダールはこの仕事に専従する二人であり、できるだけ多くの部数を売るようバーバーから命じられていた。マンジルのほかの者たちは、バーバーが言われたとおり「使えるあらゆる空き時間に」、自身の余暇を割いて手伝うよう指示されていた。
ウルドゥー語はペルシア語に由来し、インドのムスリムの間で広く話されている。しかしマンジルの誰もが、ムスリム、ヒンドゥー、ゾロアスター教徒を問わず、自身の友人や親族の間でマハラジのウルドゥー語伝記を一定部数売るよう指示されていた。ラムジューは特に自分の分を売り捌くのに苦労し、何冊か買ってもらえるかと期待して裕福な親戚に連絡した。だがその親戚はこう尋ねただけだった。「お前はどれほど落ちぶれたら、こんな行商をするはめになったのだ?」
