第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 365 / 5,444
バーバーは木の下に休む場所を選び、人々に言われた。「持ってきた花のジャーリ〔布〕をマラン・シャーの名のもとここに敷き、その墓前にいるかのように頭を垂れてください。」
皆その通りに行い、バーバーはいつの日か必ずマラン・シャーの墓を訪ねると誓われた。そして神の御前にて、アッラーの名のもとに、山を登れなかった自分自身と他の者たちを赦された。そしてマンダリには、もうそのことについて考えないようにと言われた。
帰り道、彼らはまたしても道に迷い、車を停めた場所を1マイルも通り過ぎてしまった。だがこの間違いは幸いだった。一行は夕方まで戻らないだろうと思って村へ向かっていた運転手と、ちょうど道で出会ったからである。
夕方5時30分にマンジル-エ-ミームに到着すると、バーバーは言われた。「今日の巡礼が未完であったとは言えません。掲示板には『……マラン・シャーの墓へ行く』ではなく、『……カリヤンへ行く』と書かれていたからです。次回は気をつけて『マランガル〔マランの丘〕』と記すことにいたしましょう。」
人々は彼の言わんとするところを理解した。この見落としのために彼らはマラン・シャーの墓に辿り着けなかったのであり、また別の何らかの理由で道を踏み外したのも、師の御意によるものだったと悟った。
この時期、マンジルで仕事を必要としていた者たちに就労の場を与えるため、ベヘラムジ、ルストム、アスマがエルフィンストーン・ロード(鉄道橋の近く)にある製粉所を買い取った。1しかし製粉所はパレルの好ましくない地域にあった ― 人口密集地で、すぐ近くの溝には悪臭を放つ汚水が流れていた。建物の内部は陰気で、荒れ果てた状態にあった。製粉所を稼働させるためにエンジンが3台と、製粉機が6台ほどあった。
不衛生な環境にもかかわらず、ファレドゥーン(パドリ)、アブドゥル・レフマン、ラムジュー、スラムソンは師の命令に従って日々そこで働き始めた。ファレドゥーンは整備係、ラムジューとアブドゥル・レフマンは出納係、スラムソンは支配人であった。製粉所の機械は頻繁に故障し、月末の収支も利益よりむしろ損失の方が大きかった。ガニは持ち前の皮肉な調子で、この製粉所を「エルフィンストーン・ロードの白い象の製粉所」と呼んだ。ほどなくして、その製粉所は閉鎖された。
バーバーの命令により、1922年10月の間、ウパスニ・マハラジのウルドゥー語伝記を出版するための最終準備が一層進められた。
脚注
- 1.エルフィンストーン・ロードは現在、ジャガンナート・バトナガル・マルグと呼ばれている。
