第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,622 / 5,444
フレッド・マークスのような背の高い東洋人や西洋人がバーバーのもとに来るたびに、バーバーは彼らを膝まずかせて自分を抱きしめさせ、そのためパンダル内に大きな笑いが広がった。
ガデカルとエドケ(二人とも1926~27年メヘル・アシュラムの元教師であった)は、バーバーのもとに来ると泣き始めた。バーバーは彼らを慰めた。
全員が抱擁を終えた後、午前9時半にシドゥがバーバーの手を洗うのを手伝い、首に掛けられた花輪を外した。カイコバードが呼ばれ、ゼンド・アヴェスタの祈りを唱えた。彼が唱え終わると同時に、マトラ・ドゥッタ・シャストリが「アバター・メヘル・バーバー・キ・ジャイ!」[アバター・メヘル・バーバーに勝利あれ!]と叫んだ。バーバーは祈りがすべて終わって自ら命じる時まで、誰も何も叫ばぬよう全員に注意した。しかしバーバーはマトラを赦した。また祈りの最中にはいかなるカメラもシャッターを切ってはならぬと厳しく命じた。
この中断のため、バーバーは再び手を洗おうとした。水はもう残っておらず、シドゥが汲みに行こうとした時、バーバーは彼を止めた。代わりにバーバーは、パンダル内にできた雨水のたまりから水を集めるようパドリに合図した。汚れた水の小さなたまりから、パドリは手のひらに水を取り、バーバーの手にかけた。カイコバードは祈りを繰り返すように言われ、その通りにした。それが終わるとバーバーは彼にお辞儀をし、指示された通りカイコバードは「ヤー・アフラ・マズダー」[おお、アフラ・マズダーよ]と唱えた。
次にアロバがナマーズ[イスラムの礼拝]を捧げ、バーバーが彼にお辞儀をすると、彼は「アッラーフ・アクバル」[アッラーは偉大なり]と唱えた。ヒンドゥー教の祈りとして、ニルとヴィシュヌがウパスニ・マハラジの作になるサンスクリット語のシュローカを数編唱えた。彼らが「オーム・パラブラフマ・パラマートマ!」[おお、至高のブラフマよ、最高のアートマよ!]と唱えると、バーバーは彼らにお辞儀をした。次にドンが英語でキリスト教の祈りを唱え、それが終わるとバーバーが彼の足に触れ、ドンは「全能なる神よ!」と唱えた。ダウラット・シンはシク教の祈りを捧げ、その後神の御名を「サット・シュリー・アカル」[真理は永遠なる尊き者]と唱えた。
そこでバーバーは群衆に向かっておっしゃった。「皆さんが長く立っていてお疲れであれば、30分の休憩を差し上げます。その後に残りの祈りが唱えられます。しかし皆さんに申し上げたいのは、私は決して疲れることがないということです。私は自分の働きにおいて決して疲れません。ですから、皆さんがお疲れであれば休憩を差し上げます。しかし皆さんが望まれるならば、私はそのまま自分の働きを続けます。」
脚注
- 1.メヘラバードを離れた後、ヒタカはネパールとデヘラ・ドゥーンを訪れ、デヘラ・ドゥーンではキシャン・シンが彼にバーバーについてさらに語るように指示を受けた。アディ・シニアはこう書いている。「バーバーは、ヒタカがデヘラ・ドゥーンを訪れた折に……メヘラバードでバーバーが彼に告げたすべてを固く守るよう伝え……インドからの帰国後[4月末]には、[沈黙を破って]日本の兄弟姉妹たちにバーバーと彼らへの愛のメッセージを伝えるよう望んでおられる。」ヒタカは後に日本で平和活動家、世界政府の支持者、そしてバートランド・ラッセルやダライ・ラマらの著作を日本語に翻訳した大学教授として知られるようになった。
