第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,604 / 5,444
それはすべて言葉です。あなた方が「自己、神、無限」と言うとき、それらは何の意味も持ちません。読んだり説明を聞いたりして理解しようと試みることは、あらゆる理解を超えている、われらが愛しき神への侮辱です。ただひとつの答えは愛です。私たちが神を愛するならば、私たちは彼となります。それ以上の問いはありません。けれども、私たちは胸のすべてをもって愛さなければなりません。そうしてこそ、私たちにとって神だけが存在することになるのです。
蓄音機のレコードによる音楽がかけられた。それからメヘルジーが、テキサス州ガルベストン出身の64歳のベンジャミン・ユード・ヘイマン医師と共に到着した。バーバーは彼を歓迎し、よく眠れたかを尋ね、彼に会えてとても嬉しいと述べた。
「私はあなたにここにいてほしかったのです、ですからあなたは来たのです。」
彼はベンに楽にしているように言い、何ひとつ取り逃したものはないと感じてほしいと述べた。
「もう説明はありません」とバーバーは述べた。
私はあなた方とビー玉遊びをいたします。私はこの上なくユーモアにあふれ、きわめて人間的であるため、リシたちや聖者たちでさえ、私をあるがままに知ることは難しいのです。私はあらゆる段階に在り、その段階に応じて行動いたします。子どもと共にあるときは私は子どもとなり、最も高位の聖者たちと共にあるときは私は彼らと一つになります。私と一つであり、私が彼と一つである愛しき神と共にあるときでさえ、絶対的に自然であることが私の本性なのです。
私がたった今述べたことを理解するならば、すべてのことの解決があなたの手のなかにあります。神は無限の誠実さであり、私たちが彼を誠実に愛さなければ、私たちは彼を知ることができません。理解を超えたものではあっても、愛に満ちた胸は、理解しえないものを理解しうるのです。神を愛するならば、あなたは彼と一つになります。それがすべてです。そして、あなたは神を愛することができるのです。
マルコム・シュロスが、私たちが誰か、または何かを愛するときはいつも、実は神を愛しているのではないかと尋ねた。
バーバーは答えた。「そうです。ただ、あなたは自分が神を愛していることを知らないだけなのです。神は私たち皆を通して自身を愛しています。
私が七人の貧しい人々の足を洗い、彼らの前にひれ伏したとき、私は胸のすべてをもってそうしたのです。私はただひれ伏し、贈り物を捧げる者の役を演じたのではありません——私はそのものとなったのです。その日、あなた方は何を見ましたか?このようなひれ伏しはヒンドゥーの慣習において完全なる方々にこそ捧げられるべきものであり、贈り物を捧げることもまた然りです。私は自らの行いによって、七人の完全なる方々の献身者であり弟子となりました。私は彼らの足の上に頭を置き、贈り物を捧げました。私はすべてですが、このすべてとなりました。そして誠実さは、私が何であるかを必ず表現せよと求めるのです。
