第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,603 / 5,444
ハーフェズはこう言います: 「無知であるという長き世にわたる習慣から抜け出さない者は、自己を無限なるものとして決して悟ることができないであろう。」
神には始まりも終わりもないと、まことに言われています。このことをよくお考えください。もし彼に始まりがなかったとしたら、神より前には何があったのでしょうか?答えは神です。あなた方は想像のなかでも、始まりがなかった場所には到達できないのです。答えは神でしかありえません。何十億年ものちには、何があるでしょうか?神です。いつも神です。これは、永遠のなかには時間が存在しないということを意味します。何も起きたことはなく、また何も起きることはないのです。時間という要素はないのです。何十億年も前にもあなたは存在していました。今日もここにあなたは存在し、これから後もずっと存在するでしょう。今日起こっていることはすべて、実際には起こってはいないのです。たとえ今そう見えなくとも。
永遠を体験したとき、人は神は在るということを知るのです。神は在った、在る、在るであろうと言うのは誤りです。永遠のすべては、いま、この瞬間に現存しているのです。ですから私は言います。神は「在る」と。
モナ[最近亡くなったマルコム・シュロスの妻]はかつてここであなた方と共におりました。彼女はもうあなた方と共にはおりません。その意味するところは、彼女は決してここであなた方と共にいたのではないということです。彼女は常に永遠のなかにいたのです。私自身でさえこれを言い表すことはできませんが、できるかぎり努めます。それは知性を超えたものです。昨日起こったことは一時的な影響を生み出しました。けれども、昨日の実際の出来事はすでに止んでおり、それはすなわち、昨日は何も起こらなかったということを意味します。その一時的な影響こそが幻想です。こうして続いていくのです——神と幻想とが並行して走るのです。幻想はすべてが起こっていると言い、神は何も起こらないと言います。
起こることと自らを同一視する偽りの「私」に握られているとき、幻想があなたを支配します。しかし、真理を知るとき、あなたはそれと自らを同一視することはありません。私たちが世界のなかで見、聞き、経験することはすべて神ではありません。あなた方が理解しうるものは何であれ、神ではありません。説明されるものは何であれ、神ではありません。表現されるものは何であれ、神ではありません。詩人はこう言います:
愛する者は導師にこう言います——あなたは私にすべてを忘れさせる何かを教えてくださいました。あなたは私のなかに、何も欲するなと告げる欲望を生み出してくださいました。あなたは私に、言葉は何の意味もないと告げる、あの「一なる言葉」をくださいました。
そして愛する者は言います——おお、導師よ、私は神を探し求め、彼をあれやこれやと思っておりました。いまや、あなたは私の想像でさえその影さえも生み出せない何かを、私にくださったのです。
