第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,602 / 5,444
皆が笑い、バーバーは続けた:
神の働きにおいてはマーヤーが常に反対するものだと、私はマンダリにいつも言っていました。それは必要なことなのです。神を実現するために幻想が必要であるのと同じく、神の働きに反対するマーヤーの力は、その働きに力を与えるのです。マーヤーの反対が大きければ大きいほど、結果はよくなります。
12日の大衆ダルシャンの前、アフマドナガルでは記録的な降雨がありました。サロシュが私のところへ来て、雨がやまなければダルシャンを延期しなければならないと言いました。私は、神が望むことが起こるのだと言いました。天気が変わったとき、それはバーバーの奇跡だと思われました。それはまったくのたわごとです!私は謙遜を見せるためにこう言うのではありません。これは事実です。
私は雨を気にしないと言いました。神は雨を望むかもしれませんが、会合は開かれます。雨が降れば、彼らは濡れ、服を着替えなければならず、私も着替えなければなりません。29日と30日の会合は、その種の会合としては最初で最後のものとなります。これらの会合の日が近づくにつれ、ちょうど雲が空に低く垂れ込むように、重荷が私の頭の上に下りてきています。もしあなた方が健康を保たなければ、それはさらなる重荷となります。
バーバーは続いて助言と指示を与えた:
私は時として無作為に話しているように見えますが、実際にはほかのところで働いているのです。
あなた方が「私は病気だ、私はお腹が空いている、私は年老いている、私は若い」と言ったり、「私はお腹が空いていない、この食べ物は欲しくない」などと言ったりするとき、これらすべての「私、私、私」を使うとき、思い出してください。あなたの手や足が切り落とされても、あなたの「私」は同じままです。何が起ころうと、あなたは同じままなのです。これは、「私」が肉体ではないということを意味します。なぜご自分を肉体と同一視するのですか?それなのに、あなた方は一日二十四時間そうしているのです。ウィルは「私は喉が渇いている」と言ったものでした。彼は今や年老いて「私は調子がよい」と言います。それが本当ならば、ウィルがそのままの限られた肉体であるということになります。
アハム(「私」)とは、偽りなるものとの同一視を意味します。なぜ私たちはこうするのでしょうか?理解していても、私たちはなお同一視してしまうのです。なぜでしょうか?「私」は肉体でもなく、食べる者でも、争う者でもありません。長き世にわたり、限りない自己は意識と知性が発達していなかったために幻想のなかにありました。人間の形態において意識と知性は発達しますが、長き世の習慣のために幻想との同一視があるのです。
