第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,581 / 5,444
この主題についてはグループの意見も分かれていたため、バーバーは、ある日は自分が説明し、次の日には皆が彼と共に静かに過ごすことに決めた。そしてバーバーは次のように述べた。
あなた方の仕事は明確に定められなければなりません。それは実践的でありながらも神聖でなければなりません——実践的というのは、世間を捨ててただ超然と静かに座っているだけでなく、どのような人生においても達成され得るという意味です。私はあなた方に、同じ真理の新しく独創的な側面をお示しします。
ゾロアスター教の祈りの一つの形式はクスティと呼ばれます。[今朝唱えた]四つの祈りはすべて同じことを語っています。ババジャンが私の額に口づけて以来、私は自らの大我に礼拝しております。なぜでしょうか?
誰かが言った。「ほかに礼拝すべきものがないからです。」
それが私の実際の、絶えることのない体験です。
バーバーは先に語ったことを繰り返して結びとした。
必要なのは、ただ見ることではなく、「成る」ことです。あなた方は、すでにご自身であるところのものに成らなければなりません。あなた方は神でありますが、いかにして神に成るかを知らなければなりません。キリストはこれを教えるためにご自身を低くされました。すなわち、愛を通して、すでにあなた方であるところのものに成りなさい、ということです。
バーバーは翌日の1954年9月18日土曜日、午前10時頃にメヘラバードでグループに会いに来た。彼は各人にその瞑想について尋ねたあと、こう述べた。
今日は私が、トランスと内なる視覚——サマーディについて説明いたします。スーフィーが「ハール」と呼び、ヴェーダーンタ学者が「バーヴ」と呼ぶトランスは、真の霊的意味においては大した価値のない、ほんの一時の恍惚にすぎません。このハールの状態にあるあいだ、人は周囲や自分の身体に対する意識を失いますが、圧倒的な至福の力が自らの魂に注がれてくるのは意識しております。このバーヴが終わるやいなや、彼はただ普段の自分に戻ってしまいます。
サマーディ[トランス]には四つの異なる種類があります。すなわちヨーガ・サマーディ、タントラ・サマーディ、ニルヴィカルパ・サマーディ、そしてサハジ・サマーディです。
ヨーガ・サマーディとタントラ・サマーディは、霊的にはなんら重要性を持ちません。それらにおいて、人はあらゆるものや人と平安を感じ、ついには自らの心が静まるのを覚えます。しかしこのサマーディが終わるやいなや、彼は再び普段の自分自身に戻ってしまいます。大半のヨーギーは、このサマーディの後、かえって幻影の重圧をいっそう強く感じます。それは酒の酔いに似ております。しばらくは万物との調和を感じますが、酔いが醒めると頭痛がしてくるのです。ですからヨーガ・サマーディとタントラ・サマーディは、酒に酔うようなものなのです。
