第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 357 / 5,444
バーバーがボンベイで予言したことに反して、マハラジは彼を非難するどころか、サコリにいた全員にバーバーの足に触れるよう指示し、彼が偉大な師であると宣言した。サコリ滞在中、帰依者たちはバーバーが行く先々で彼を取り囲み、マハラジと個人的に話す時間はほとんどなかった。マハラジはサダシヴにギー(精製バター)を渡し、午後にバーバーがゆっくり休めるよう、彼の体をマッサージさせた。
このサコリ訪問は特別に意義深かった。なぜなら、後にバーバーの最も親しい女性弟子となるメヘラに会う機会となったからである。彼女を選ぶことが、この旅の本当の目的だったのである。また、この聖なる機会は、ウパスニ・マハラジの存命中にメヘル・バーバーがサコリの地を踏む最後の時となった。彼が再びマハラジに会うのは、19年後の1941年10月のことになる。
バーバーは夜遅くアフマドナガルに到着し、グルマイとカーンサヘブの家サローシュ・マンジルに滞在した。翌日、バーバーは町のキャンプ地区近くの自宅で、カーンサヘブの義弟カイクシュル・アルデシール・イラニ(サローシュの父で「老カイクシュル」と呼ばれていた)を訪ねた。老カイクシュルはかつてウパスニ・マハラジとバーバーに反対しており、サローシュ・マンジルの落成式にも参加しなかったが、この時は師を温かく迎えた。バーバーは上機嫌で、ペルシア語で『シャー・ナーメ』の詩句を彼に朗誦して聞かせ、彼はそれを楽しんだ。この機会に、サローシュの妹モタはケキ・イラニと婚約した。
グルマイは次の出来事の前にも、何度かマンジル-エ-ミームを訪れることを許されていた。ある時、バーバーがアジメールから戻った後、彼女は父が重病だという電報を受けてボンベイへ向かった。グルマイは夜九時にボンベイに着き、マンジルでバーバーと相談したのち、父の住むパレルへ向かった。父は翌朝亡くなった。葬儀の祈りと儀式が行われている間に、彼女のもとに自分のところへ来るようにとのバーバーの伝言が届いた。遺体が「沈黙の塔」へ運ばれるとすぐに彼女は出かけ、バーバーに会ったのちアフマドナガルの自宅へ戻った。1
しばらくして、彼女の娘ドリーのナヴジョート(ゾロアスター教の聖糸の儀式)がパレルで執り行われた。夜にはバーバーとマンダリがその祝いのために招かれた。グルマイの兄ミノチェルショー・イラニ博士は病気で間もなく手術を控えており、そのことについてバーバーに相談したいと願っていた。バーバーは彼に、心配する必要はなく、回復するだろうと伝えた。師の好意にもかかわらず、ミノチェルショーはバーバーを信じておらず、姉や他の人々にバーバーを悪く言った。
脚注
- 1.グルマイの息子アディは当時マンジル-エ-ミームでバーバーと共に暮らしていたが、祖父の葬儀に参列することは許されなかった。
