第26章: 驚くべき3週間
1954年· ババ 60歳ページ 3,567 / 5,444
多くの書簡が毎日届いていた。ダットゥはアディと共に事務所の主たる働き手であり、ワマン・パダレは使い走りや伝言など、外回りの仕事を引き受けていた。フェラム・ワーキングボックスワラは新生活以来アクバル・プレスに滞在しており、特に忙しい時期には事務の仕事も手伝い、バーバーの英文メッセージのいくつかをグジャラート語に翻訳することもあった。毎日、メヘラバードへの行き帰りに、バーバーはクシュルー・クォーターズに立ち寄り、アディの母グルマイ、姉妹のドリーとピロージャ、そしてそこで働く人々と会っていた。ドリーは世間と距離を置き、隠者のように暮らしていたため、バーバーに会いに出てこようとはせず、遠くから彼を見たあと自分の部屋へ戻ってしまうのだった。あるいはバーバーが個別に彼女を訪ねることもあった。1バーバーはまたアクバル・プレスへ赴き、サタ家とダマニア家を訪ねた。彼らは朝夕、バーバーの車が通るのを待って道端に立っていた。
その日、すなわち14日、バーバーがクシュルー・クォーターズを訪れたとき、ランゴレやターデ家の人々をはじめとする面々が、彼に会うためにプーナから来ていた。彼らは結婚の許しを得るためにバーバーのもとへ来ており、最初に尋ねたのはランゴレだった。
バーバーは彼に言った。「アルファベット板に尋ねてみましょう。私がそれを回しますから、文字が表向きに止まれば結婚なさい。そうでなければ、おやめなさい。結果がどうであろうと、それが私の決定です」。
バーバーが板を回すと、ランゴレは結婚すべきではない、という答えが出た。それを見て、プーナから来た他の者たちは尋ねるのを恐れ、口をつぐんでしまった。ランゴレはスバドラと結婚したいと望んでいたが、彼女が愛していたのはマドゥスーダンだった。彼女は病から回復し、今ではすっかり健康になっていた。ランゴレはバーバーの決定を理解し、受け入れた。彼は生涯独身を貫いた。
バーバーは1954年9月15日水曜日午前9時にメヘラバードへ戻った。彼は午後まで西洋人男性一行と個別の面会を続けた。バーバーとの面会で、マックス・ヘフリガーは思い悩み混乱した様子で、インドに来てからずっと自分を悩ませていた事柄について語った。当時、スイス人は概して非常に冷静で感情を表に出さなかった。自分の感情や信仰心をあらわにすることは、そもそもしないものとされていた。それは無作法で粗野なこととみなされていた。そのため、たとえばワディア公園での大規模ダルシャンについて、マックスは妻ギゼラへの手紙にこう書いた。「ひどかった……ときどき群衆が動き出した。プラサードを得るためなら誰でも踏みつけそうな勢いだった。私には人間という獣の群れのような印象を与えた」。マックスはまた、これから始まる集会に参加するにふさわしいだけの献身を、自分は十分には抱いていないと感じていた。
脚注
- 1.ドリーはマストのように見えたものの、母グルマイと兄アディのために料理をし、世話を続けていた。
