第25章: ハミルプールとアンドラでの大規模ダルシャン
1954年· ババ 60歳ページ 3,481 / 5,444
しかし十五分後、キシャン・シンがバーバーの住居で一行に合流し、その時バーバーは次のように口述した。
今日は、ナーズとニヤーズについて説明したいと思います。昔、スーフィーたちはナーズとニヤーズ、シャマとパルワーナ[ろうそくと蛾]についてのこの点を、常に強調していました。後にこれらの語はあまりに一般的となり、大小を問わずあらゆるムスリムの詩人たちが使い始めました。
さて、ナーズは文字通りナクラー、すなわち媚態、機嫌を取りにくいこと、決して満足しないことを意味し、愛しいお方の主要な属性の一つとされています。スーフィーたちは、神と完全なる導師たちをナーズの完全な化身——常にナーズに満ちた存在——として語ります。なぜでしょうか。彼らが独立しており無関心であるからです——ベパルワー、何ものも顧みず、完全に超然としているのです。
さて、あなた方は、すべての源である神と、神が人格化されたサッドグルたちが、どうしてベパルワーであり得るのかと思われるかもしれません。ばかげて聞こえます。それは、神が絶対的に独立しており無関心であるからです。
ニヤーズとは、愛しいお方のあらゆるナーズ[気まぐれ、無理難題]に、そのお方のあらゆる気分に合わせて踊ることを意味します。ニヤーズとは服従を意味するのではなく、明け渡しを意味します。
神とサッドグルたちのナクラーを成し遂げることは、偉大なことであります。それは、絶対的に独立しており無関心である愛しいお方のあらゆる調べに合わせて踊ることを意味します。神もまたそうであります。そして神を愛する者は、愛しいお方のあらゆる気まぐれに依存しています。サッドグルが無関心で独立しており、その愛する者が完全に依存している——しかもサッドグルご自身にではなく、サッドグルのあらゆる独立したナクラーに依存しているとは、ばかげて聞こえます。しかし、事実はそうなのです。
さて、第二の側面はこの上なく素晴らしいものであります。私たちは今しがた、神とサッドグルの独立した本性について話しました。その「本性」は無限の実在のものでありますが、サッドグルは幻影の姿を取られました。サッドグルの姿において、神はその背に完全なる無関心と無限性を湛えたまま、幻影の外套を身にまといます。さて、起こることはこうです。この幻影の衣[肉体]を身にまとった途端、サッドグルは幻影の基盤である無知によって生じる全宇宙のあらゆる苦しみを、自らに引き受けるのであります。
さて私は、無限の至福を享受しているサッドグル、あるいはアバターが、なぜ同時に無限に苦しんでいると言われるのか、その逆説を説明いたします。
