第24章: デヘラ・ドゥン、1953年
1953年· ババ 59歳ページ 3,419 / 5,444
また、心(マインド)を超えた状態を扱う霊的科学というものもあります。物質科学と霊的科学はどちらも、証拠と実証をもたらします。物質科学は知性を通して結果をもたらし、霊的科学は愛を通してもたらします。愛が完全に体験されたとき、霊的科学の源である無限なる神が実現されます。そしてそのとき、他のすべてが単なる幻影の現象に過ぎないと知られるのです。
霊的科学は、愛のみに基づき、体系的な精神的理解を超えるものであるがゆえに、見かけ上は浮き沈みや矛盾、気まぐれに満ちており、それらは愛のみが立ち向かい、乗り越えることができます。これは、物質科学がエゴの生を強化するのに対し、霊的科学はそれを消滅させるからです。
それからエルチが、その朝の午前9時30分に口述された「内なる確信」というメッセージを読み上げた。
体験には二種類があります — 一つは外的なもの、もう一つは内的なものです。外的な体験は、粗大な手段によって得ることができます。私たちが粗大な目で粗大界を実際に見ることは、ある種の確信を私たちに与えますが、時にはこの確信さえも誤った分析に基づいています。ちょうど、ヤシ酒の木の下で瓶に入った牛乳を飲んでいる人をたまたま見かけたとき、その姿を見て彼はヤシ酒を飲んでいるに違いないと確信するようなものですが、それは誤りです。しかし内なる目で見られたものは、決して誤ったり偽となったりすることのない、絶対的で確固たる確信を与えます。
内なる目で遍在する存在としての神を実際に見たとき、その人はもはや自らがその無限なる存在となりさえすればよいのです。ですから実際に必要なのは、単なる理論化や推論ではなく、永遠の確信を与えてくれる実際の体験であり、それは愛を通してのみ得ることができます。
これらのメッセージが読み上げられた後、バーバーはニランジャン・シンに言われた。「問題は、心(マインド)がなくなったときにしか理解できないことを、私たちは心を通じて理解しようとすることなのです!あなた自身が、あなた自身の覆いなのです。
「『あなた』が目に見えなくなったとき、神が目に見えるようになるのです!しかしこれには体験が必要であり、その体験を得るためには恩寵が必要です。理解することのできないものを心(マインド)を通じて掴もうとしても無駄です。」
ニランジャン・シンは懇願した。「少なくとも一週間あなたと共にいられない限り、私の渇きは癒されないでしょう。」
微笑みながら、バーバーは答えられた。「私は渇きを消すのではなく、それを増し加えるのです!あなたの渇きを増し加えるために、いつ私と七日間共にいたいですか?」
「大学は4月に休校になります。」
「見てみましょう」とバーバーは戯れに返された。「エープリル・バホアト・ドゥル・ハイ[4月はまだ先のことです]!」
