第24章: デヘラ・ドゥン、1953年
1953年· ババ 59歳ページ 3,369 / 5,444
なぜか。申し上げましょう。
誰を責めるべき事柄でもありません。私は終始、自分の計画は二週間のものだと強調してきました。私たちは全員が共に過ごし、共に食べ飲みしながらも、まったく眠らない手はずでした。その仕事の結果はカシミールにおいて現れ、多くの出来事が起きていたはずでした。それでいて私は終始同時に、計画は実現しないだろうと感じており、それゆえにエルチャに繰り返し警告し続けたのです。そうでなければ、ステーションワゴンを手に入れることに彼が百パーセント自信を持っていたのに、なぜ私が彼に繰り返し警告したというのでしょう。ときには私も、もし彼がそれを手配できなかったなら、その結果を引き受ける覚悟をしておくようにと脅しさえしました!
ですからこのことが、実は誰のせいでもなく、挫折はただ起きたのだという手がかりになるでしょう。計画はあって、私はそれが実を結ぶことを望んでいましたが、同時にそうはならないとも感じており、それゆえこの件を何度も繰り返し口にしていたのです。最終日[6月4日]に、エルチャはその車両を手配できないと申し出ました。彼が用意していた車は故障してしまいました。最後の手段として、私たちはステーションワゴンを買うところまで踏み切り、その費用を私が承認しました。
私がその計画の実現をどれほど真剣に願っていたか、そして同時にそれが決して実現しないと感じていたかは、神が知っています。皆さんにはこれを理解することができません。
キリストが「父よ、あなたまでも私をお見捨てになりました!」と言われたのと同じです。ところで彼は父であり、また子でもありました。彼は自分が十字架にかけられることを知りながら、なお「父よ、なぜ私をお見捨てになったのですか!」と言いました。これを理解できたのはキリストただ一人でした。
私が申し上げたいのは、私がある事を計画して挫折が起きたとき、それは実は挫折ではないということです。けれども私はそれを挫折と呼ぶのです。
よく注意して見れば、その挫折が見えてくるでしょう。私は今日からいくつかだけを書き留めておきました。エルチャは二十一日に私と同行するはずでしたが、今や同行できません。前回もまた、私たちは6月5日に出発する予定でしたが、彼が他の用で塞がっていたために6日へ延期されました。そして今や、二十一日に予定されていた私たちの旅も二十二日へと延期されました。
私が皆さんに伝えたかったのは、私の仕事の結果はカシミールにおいて現れたであろう、ということです。それが私の感じたところであり、しかも百パーセントそう感じていました。私はクリシュナジをカシミールに遣わし、そこで私の愛のメッセージを広めさせました。
