第24章: デヘラ・ドゥン、1953年
1953年· ババ 59歳ページ 3,368 / 5,444
私には彼と共に働く気分も時間もありません。挫折が次々と続きますが、それでも私たちはそれらを本当に挫折と呼ぶことはできません。私が皆さんに伝え、説明したいのはまさにこのことです。
以前の計画に生じた挫折について、手短に申し上げます。ある日、ムッソーリーで、私は心の中に抱いていた計画をマンダリに説明しました。それは、眠らずに行う二週間の旅に関するものでした。その計画を発動させ、具体的な形にするために、私はヘラン、キシャン・シン、エルチャ、クマールをムッソーリーに呼び寄せました。私は彼らに、私たちが共に旅をするためのステーションワゴンを手配するように言いました。私は彼らに、外出の計画は明確な仕事に関わるものであり、それと並行していくつかの場所でマストたちに会うことになると説明しました。そしてその目的のために、よいステーションワゴンを賃借するか借りるかしてみるようにと彼らに言いました。この件はエルチャとヘランが受け持ち、私はキシャンにも、そのことについてデリーに手紙を書くように頼んでおきました。
ところがキシャンは手紙を書かず、クマールはナンヒ・ドゥニヤの施設のステーションワゴンが使えることをエルチャに伝えませんでした。1しかしエルチャは、ステーションワゴンは容易に用意できると堅く確信していました。そこである日、私はその四人をすべてムッソーリーに呼び、ステーションワゴンが必ず要ると幾度も告げ、念を押しました。その仕事はすでに残念ながら挫折を被っており、もしこの二週間の旅の計画さえ実現しなければ、私の計画全体が狂ってしまうのです。
彼らにはステーションワゴンに関する提案を送り、ほとんど毎日のように念を押しました。私は彼らに、車両が用意されず、私たちが共に旅をできなければ、私の仕事は台無しになると繰り返し言い聞かせました。賃借料やガソリン代などをまかなうために、一日四十ルピーが割り当てられました。ヘランはエルチャに頼り切っていましたが、ある日エルチャはデヘラ・ドゥンからムッソーリーに電話をかけ、ステーションワゴンが手配できたと知らせてきました。この嬉しい知らせを受けて、私はマンダリに甘いものを配りました。
しかしよく心に留めておいてください。私の計画はステーションワゴンそのものに掛かっていたのではなく、三つの事に掛かっていました。すなわち、十五日間あちこち巡ること、十五日間眠らないこと、そして十五日間共にあちこち移動することです。そしてそれはステーションワゴンが手配されてはじめて可能なことでした。ほどなく私はムッソーリーからデヘラ・ドゥンに戻り、毎日この件について議論が交わされました。クマールにもこの件を確かめておくようにと言いつけました。
いずれにせよ、私はこの件について極めて真剣でした。
脚注
- 1.ナンヒ・ドゥニヤはデヘラ・ドゥンにあった聾唖児童のための学校で、以前に新生活の動物たちの一部を引き取って世話をしたことがあった。
