第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 330 / 5,444
目標に向かって進んだワーリー、すなわち聖者は、より高い霊的境地に住み、心をある程度まで統御します。
最初の場合[心の奴隷]は世俗的な心のことであり、第二の場合は神に属するもので、マジュブが真理を実現した心の状態を持っているという意味です。ワーリー、すなわち聖者は、心と精神の統御の進んだ段階にあり、真理の悟りに向かって進んでいます。しかし、完全なる導師[クトゥブ]、すなわちサリクは、まったく独特な状態にあり、望むときにはいつでも心のあらゆる状態を享受し体験することができます。1
例えば、完全なる導師が世俗の事柄に心を傾ける必要があることはほとんどありませんが、時にはサークルの成員のためにそうしなければならないのです。
例えば、カマティプラ第7通りの住民たちはジョージ国王の臣民です。しかし陛下は、その地域の個々の住民どころか、カマティプラ[ボンベイのスラム街]という場所が自らの帝国に存在するのかどうかさえ、何かご存じでしょうか?しかしながら、もし陛下がカマティプラについて、あるいはその場所の特定の住民一人についてさえ、何かを知りたいと望むなら、電信局、郵便局、あるいはC.I.D.[秘密警察]のいずれかを通して、瞬時に必要な情報を得ることができます。
同様に、完全なる導師は、自らが知りたいと思うあらゆる事柄の源そのものに到達することができます――すなわち、心を集中させ、その心の力をそこに投入するのです。しかし彼はめったにそうしません。彼がこの世の事柄に――言葉や行いをもって――示すように見える関心は、いかに外見上真剣に見えても、ただの何気ないものにすぎません。そのような稀な場合に、完全なる導師である彼が使っているように見える心は、神性を欠いた心なのです。彼はその時々に頭に浮かんだとおりに、ほとんど機械的に、深く考えることなく行うだけなのです。
談話によって、また詩を朗誦することによって、導師はマンダリのために霊的な事柄に光を当てるのが常であった。次のガザルは1920年代初頭にバーバーがグジャラート語で書いたものである(ずっと後年にアディ・シニアによって翻訳された)。
この世は存在しますが、これは皆さんの最終の住処ではありません。
神の方へ顔を向けてください。
この束の間の世にどれほど住まわれるおつもりですか?
ここは皆さんが体験すべき徳と悪徳の試練の場なのです。
脚注
- 1.サリク(Salik)は巡礼者、旅人、あるいは信奉者を意味するアラビア語であり、神との親密さを望むと同時に生活上の必要にも気を配る者を指す。この語は神に愛された者を意味するサラート(salat)に由来する。
