第23章: 燃えるような自由な人生
1953年· ババ 59歳ページ 3,272 / 5,444
日中、アイリーンは近く刊行予定の自著『文明か混沌か?』(Civilization or Chaos?)の原稿のいくつかの点をラムジューと話し合った。アイリーンはこの本を「バーバーの仕事についての一般的な教科書、あるいは入門書」と構想していた。彼女とメヘルジーは翌朝出発した。
バーバーは男たちに、12日には三度に分けて茶のみを摂って断食するよう命じた。その日の午後3時、アディ・シニアはいつものように郵便物と、ジャレビ(菓子)を一籠分携えてやって来た。バーバーはマンダリに、その菓子をどう扱うべきかと尋ねた。その問題を決めるため、彼はニルに自分のアルファベット・ボードを空中へ投げ上げるよう指示した。一方の面が出ればジャレビは配られ、反対の面が出れば配られないことになっていた。二度とも配る方の面が出たので、バーバーは微笑みながら男たちが茶と共にそれを食べることを許した。
1953年2月14日の朝、アフマドナガルのクシュルー・クォーターズで小規模なダルシャンが行われた。バーバーはアディの車でニルとエルチを伴って出かけ、7時30分に到着した。約100名が集まっていた。彼らはバーバーに近づくことは許されたが、彼の足に触れることは許されなかった。
この機会には、指示どおりゴダヴリ・マイが、イェーシュワント・ラオおよび二人のカニヤ(尼僧)を伴って、9時30分にサコリから到着した。バーバーはゴダヴリに会えた喜びを示したのち、彼女にこう説明した。
「他者に自分の足を触れさせて敬意を受けることは、神を実現していない者にとっては深刻な束縛を生み出します。しかし、ウパスニ・マハラジがあなたに特別な務めを託されたゆえ、あなたの場合はまったく異なります。1マハラジの指示に従うことについての確信を堅くお持ちください。ご自分が誠実に最善と感じることをなさってください。他者の言うことに左右されないでください。」
ゴダヴリは、自分がリシケシュ近くに居る予定であったため、バーバーが向かう先のデヘラ・ドゥンで再び彼に会いたいと願い出た。バーバーは、彼女が適切な日取りについてアディ・シニアに手紙を書いてもよいが、そこではいかなるプログラムも行われないと説明した。
「私は『燃えるような自由な人生』を完成させるために、懸命に働かなければなりません」と彼は言った。2
結びに、彼はゴダヴリにこう告げた。「私はあらゆる場所に、すべての人の内に、すべてのものの中に存在しています。」
アディはバイヤ・パンダイに写真撮影をしてもらう手配を整えており、バーバーはそれに同意した。彼は正午までにメヘラザードへ戻った。
脚注
- 1.これは、ゴダヴリ・マイがサッドグルであると主張する他者たちのことを指しており、それは事実ではなかった。
- 2.ゴダヴリはのちにリシケシュへの旅を取りやめた。
