第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 323 / 5,444
追悼
おお鳩よ!私はあなたを尊い客人として迎え入れました
あなたが皇帝のもとからいらしたゆえに!
しかしながら、あなたはなんと類い稀なる客人だったことでしょう!
皇帝の命に従うことで、あなたは彼の御足の塵となられました。
あなたがどこから、なにゆえ来られたのか、誰も知りませんでした。
しかしあなたの到来は、我らの別れを予兆しています。
あなたは幻影の中の二元性の命を滅ぼすために来られ、
今やあなたは、まるで一度も苦しんだことがなかったかのように、再び生まれ来ることはないでしょう。
あなたが皇帝のもとから携えられた伝言の、なんと素晴らしいこと!
その重要さがあなたの命を代価として奪い去ったのです!
おお神よ!あなたはベールの背後でなんと素晴らしい遊戯を演じているのでしょう!
あなた様は永遠に顕現されておられるのに、あなた様の遊戯は目はあれども見えない者たちには謎のままであります。
おお王なる鳩よ、あなたは聖者となり、今やマンジル-エ-ミームに葬られておられます。
メルワンは畏敬の念をもってあなたの御足に口づけいたします。
その夜、9月11日、バーバーはグスタジ、ガニー、サダシヴ、アディ、サイイド・サーヘブを伴って、グジャラート・メール急行に乗ってボンベイを発ち、北インドのアジメールへ向かい、翌日の真夜中に到着した。一行はエドワード・メモリアル・セライ(ホテル)に泊まり、そこでバーバーは水様便(おそらく赤痢)に苦しみ、重い病に倒れた。翌日、バーバー以外の者はみなよく休むことができたが、バーバーは六度の便通に苦しんだ。
9月14日、木曜日、一同は師の命によって24時間断食しながら、完全なる導師クワジャ・サーヘブ・ムイヌッディーン・チシュティの墓を訪れた。チシュティはその時代のクトゥブ-エ-イルシャード[霊的階層の長]として有名である。1サイイド・サーヘブとガニーは聖廟の中でファーティハ[亡き魂を弔うイスラム教の祈り]を唱えるよう命じられた。
バーバーは下痢に苦しみ続け、緑色、黒色、茶色、灰色の便を出して極度に衰弱した。男たちはジャイナ教黄金寺院、ダウラト庭園、アナ・サガル湖を訪ねるよう送り出され、バーバーはホテルに留まった。ガニーとサイイド・サーヘブはシャー・ジャハーン・モスクへ赴き、そこで金曜日のナマーズ[礼拝]を捧げた。2
カック・サーヘブは9月16日に到着し、ベイリーはその二日後にやって来た。ガニーとカック・サーヘブはタラガル・ヒルを訪れ、また「二日半の小屋」(アダイ・ディン・カ・ジョプラ)として知られる有名なモスクにも足を運んだ——その一部がわずか二日半で築かれたと伝えられているためである。
9月18日、バーバーはマンダリに、アジメールの北西10マイルにある重要な歴史的巡礼地プシュカルへ赴くよう指示した。彼の健康状態を考えて、男たちは彼を置いて出発することを拒んだ。
バーバーは説明を試みた。「もし私がここに一人で留まっていたなら、今夜にはすっかり良くなっていたでしょう。しかし、あなた方は私なしには行かないと言われ——そして私はあなた方の楽しみを奪いたくはないので——私も参ります。ただ、私の言葉を覚えておいてください。私の今のこの病が、これからさらに十五日間長引くとすれば、それはあなた方の責任になります!」
脚注
- 1.チシュティの正確な生没年は記録されていないが、おおよそ1141–42年に生まれ、1230–36年の間にアジメールで没したと考えられ、その聖廟は今なお人気の巡礼地である。チシュティはインド最初のスーフィズムの中心地を築いた。
- 2.メヘル・バーバーは宗教的儀式や典礼を重んじなかったが、特に初期には、人々が内面的に彼を人格化された神として受け入れる準備ができるまで、彼らが自身の慣行に従うことを許した。例えば、ゾロアスター教徒のマンダリは数年間、朝の祈りを唱え続け、腰にクスティ(kusti、聖なる紐)を巻いていた。
