第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,210 / 5,444
メヘル・バーバーの巡回が終わりに近づく頃、ハミルプル地区は神聖な愛の火に燃え立っていた。この貧しい農村地帯は、いまや神聖なる宝を奪い取りたいと願っていた!物質的には乏しかったが、その村人たちはバーバーの愛のたっぷりとした分け前を勝ち取っていた。
それゆえバーバーは「ハミルプル地区は私の胸です!」と言われたのである。
この十日間のダルシャンの間に、およそ八万人もの人々がバーバーの手に触れていただく幸福に恵まれた。ハミルプル地方全体が「ハリ[主よ] バーバー、ハリ バーバー! メヘル・バーバー ハリ、ハリ!」という声で響き渡った。この詠唱の発案者は、ダグワンのヴィシュヌ・シャルマであった。何日もの間、人々はこの律動的な歓呼の中で完全に自分を忘れていた。
ハミルプルはあまりに辺鄙な地域で、場所によっては狭い小径しかなかった。それでも人々は、バーバーの到着と滞在を円滑にするためにあらゆる努力を尽くした。彼らは自らの畑を貫いて何マイルにもわたる道を造り上げていた。ある場所では森を切り開き、畑に水を引いていた運河の上を土で埋め立てた。こうして創造の主は、畑を抜け、運河や川や小川を渡り、森を通り、丘を越えて、これまで一台の車も通ったことのない遠い村々まで車で行くことができた。村の子供たちは、バーバーの車が大通りに至るのを見届けようと、車のあとを駆けていった。バーバーは彼らや他の人々に自分のあとを追わぬよう諭したが、群衆は彼を見送る喜びを譲ろうとせず、バーバーはその愛に身を委ねるほかなかった。
「火」の中には甘露が混じり合い、奇妙な陶酔がその地区全体に漂っていた。ハミルプルの人々について、ラムジューはこう回想している:
バーバーを見、近づいた者は皆、もはや以前の自分ではなかった。男たちは家族への責任や日々の仕事、商売を忘れた。女たちは家事や子供の世話を疎かにし、若者たちや子供たちはバーバーの傍にいるために大学や学校を欠席した。この大衆的な献身と、それに伴う反応の結果として、しばしば役所はその日休業を宣言せざるを得ず、学長や校長たちも、この大いなる機会のために自らの大学や学校を閉鎖しなければならなかった。
飢えも渇きも忘れ去られた。バーバーを取り巻くこの熱烈な人間の海という、類なき光景を目の当たりにした者たちにとって、それは魂を揺さぶる記憶であった。
アロバはのちにこう述べた。「人々があの光景を私に描写してくれたとしても、もし私が自分の目で見ていなかったなら、信じなかったであろう。」
メヘル・バーバーの燃えるような自由な人生の意味は、ハミルプル地区で行われたプログラムを通して理解できる。
