第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 320 / 5,444
天国を得るか否か
あなたの戸口に辿り着けるか否か、見てみよう。
そこにわが住まいを構えられるか否か、見てみよう。
幾世代の苦しみとて、あなたへ通ずる胸の扉を開くには至らず、
天国を得るも得られざるも、わが運命はあなたの御手の中にある。
あなたの小路に吹くそよ風が、私を否応なくあなたの調べに合わせて舞わせ——
その芳香は、私が幾世にもわたって溜め込んだ悪臭を吸い取ってくれる。
私は世にかかずらわぬ——あなたの御名のうちにわが身は破れ、
神性を得るも得ざるも、私はあなたの奴僕。
ああ、愛しいお方よ!なぜ無関心な異邦人らに情けを注がれるのか?
あなたがどう振舞われようと、あなたの所有たるわが胸を、ただご覧ください。
わが胸、わが体、わが心、わが魂は、あなたの陶酔のうちに沈みきっているというのに、
シャイフが果たしてあなたへの想いを抱いているのか、私は怪しんでおる!1
私があなたの宮廷に加わったとき、あなたは私について何一つお尋ねくださらなかった。
もしや誰かが、私への讒言をあなたの耳に注ぎ込んだのではあるまいか?
私が出会う者は皆、あなたの神性を讃える歌を口にする、
けれども、内に得たこの無言の力を知る者は、誰一人としていない。
このカクの塵は、太陽を仰ぎ見ることを切望してやまぬ。
あなたはそれをご自身の御足の塵となし、葡萄酒に変えてくださった。
メヘルとともに過ごす交わりの内に、この宝が秘められている、
それを既に見出した者があろうとなかろうと。
ある夜、ガニとカクの部屋でバーバーは二時間のうちにグジャラーティー語のガザルを一篇したためた。それはマンジル-エ-ミームの男たちに朗読された(後にバーバー自身によって英語に訳された):2
愛の地平線 [プレム・ネ・スィーマ]
計り知れず神秘に満ちた神の存在は、
土であれ、空気であれ、水であれ、火であれ、あらゆるものの内に在ります。3
そのお方こそ宇宙の唯一の主であり、両世界の創造主であります、
最も微細な粒子さえもがその御存在の証であります。ただ、そこに在す御臨在は見分け難いのです。
蝋燭もまた、神への愛の焔をもって燃え、ついには己が身を焼き尽くします。
他方、蛾はその燃える頬の輝きに魅入られ、ついにはその焔の中で命を落とし、自らを灰へと焼き尽くしてしまうのです。4
薔薇は早朝の時分、全能の方を讃える歌を一斉に歌い出し、
他方、恋わずらう夜鶯は園の薔薇のかたわらで美しい歌を口ずさみ、薔薇に愛を注ぐのです。
愛は、生きとし生けるものから生気なきものに至るまで、すべてのものの内に存在しています。
愛は瞬間ごとに、壁と扉の合一の中に現れているのです。5
脚注
- 1.ここでのシャイフ(Shaikh)は宗教的指導者を指す。
- 2.幾つかの行に付された脚注の説明も、バーバー自身によるものである。
- 3.四つの主要な元素——土、空気、水、火——のいずれにも、創造主の光が神秘な仕方で秘められている。
- 4.愛のもたらす驚くべき作用を見るがよい——蝋燭は全能のお方の前にわが身を犠牲とし、蛾は蝋燭に焦がれ、その尊い命を焔に差し出すのである。
- 5.科学は、この宇宙のあらゆる粒子あるいは原子がその周囲をある種の電気に包まれており、その電気が場合に応じて他の粒子を斥けたり引き寄せたりすることを世に証明してきた。また、同種の粒子は互いに反発し、異種の粒子は互いに引き合うことも実証されている。異種の二粒子間に働くこの磁気あるいは引き合う力こそ、我々が愛と呼ぶものである。かくして我々は、宇宙の最も微細な粒子や原子に至るまで、いかなるものの内にも愛が存在することを見て取る。愛の存在は、恋する者と愛しいお方、分離と合一という観念を前提としている。 例えば、男と女は分離の状態にあって絶えず互いを引き合い、その合一の果実が子であり、そこにもまた愛がある。分離の状態において、弟子と導師は別々のものである。両者の内的な合一の結果が神、すなわち普遍の愛である。水、土、煉瓦、チュナム[石灰]、壁、木、鉄、扉を例に取れば、これらの一つひとつにも、その組み合わせの中にも愛があるとわかる。水と土の合一が煉瓦であり、チュナムと煉瓦の合一が壁であり、木と鉄の結合が扉を生み出す。扉と壁は離れ離れの状態にあっては何の役にも立たない。両者の合一が扉に開閉の働きを与えるのであり、それはペルシア語のダル・オ・ディーヴァール(Dar-o-Divar)、すなわち開くことと閉じることに明らかである。かくして我々は、宇宙の万物の始まりと終わりは愛であることを見るのであり、それはこの聯が歌う通りである。
