第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,174 / 5,444
彼にとっては、誰もが神であり、すべてが神です。それは昨日私が申し上げたような知的確信によるものだけではなく、実際の、絶え間ない「成る」ことによるものなのです。彼は絶え間なき永遠の確信によって知り、始まりなき始まりから終わりなき終わりに至るまで、自らが、ただ自らのみが「在る」のだと体験するのです。
永遠を通じて変わらぬ、世界への私のメッセージは、愛です。この愛には二つの側面があり、いずれの側面もともに実在のものです。私たちが無知ゆえに「愛」と呼ぶそれ以外のあらゆる執着は、マーヤーにほかなりません。
人格神であれ非人格神であれ、神への愛——愛しい方との一体を実現したいという激しい渇望をともなう愛——は、真の愛の一つの側面です。そのような愛する者は、すべてを忘れ、すべての人を捨て、神聖なる愛の火の中で自らを滅ぼします。
第二の側面においては、人は神の不可分の一部として、人類全体を愛します。ここでは、愛する者は自分の利益を忘れ、自分の幸福を捨て、他者を幸福にし、また高めようと努めます。この愛が頂点に達すると、ここでもまた、神聖なる愛する者と同じく、人類を愛する者は完全に自分自身を忘れ、ただ愛に、愛のみに没入します。
11月15日に始まり、1953年4月末に終わる私の「燃える人生」は、神聖なる愛の火に焼き尽くされたのち、愛する者が愛しい方の中に没入する——そのような愛に基づいています。
では、よく注意して聞いてください。
そしてドンは、バーバーの「燃える人生」に関する次の言葉を読み上げた——
私の「燃える人生」は1952年11月15日に始まります。1953年4月には、その「人生」の内的な働きの頂点に達し、その内的な働きの全体を外に示すことが明らかにされるでしょう。同じ月にまた、神の恩寵によって、「燃える人生」の最終的かつ真の結果が世界に知られるでしょう。
神は言います——
私は敵を栄えさせ、友を殺します。
そして、その理由や所以を問う権利は、誰にもありません!
数えきれぬほどの時代の昔から、神を愛するすべての者は、神聖なる愛しい方との最終的な合一に至るまで、無数の重荷を負い、容赦なき反対に直面し、屈辱と挫折、肉体の病と精神の絶望によって苦しめられねばなりませんでした。
したがって、私自身、そして「燃える人生」において私と共にあるすべての者は、苦難、困難、そして考えうるあらゆる種類の攻撃を前にしても、揺るぎなく立つ覚悟を持たなければなりません。私たちの唯一の武器は、神への揺るがぬ信仰と、神の御心への完全なる委ねです。
