第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,144 / 5,444
彼は説明した。
私は自らに火を放たねばなりません。そして私は遍在しておりますから、すべては私のその炎の中に包まれることになります。もはやそれについての疑いはありません。全世界は私と共に燃えなければなりません。私は皆さんを諸々の予定をこなすために連れて行くのではなく、私の霊的生涯における最も決定的なこの時期に、私のそばに居てもらうために連れて行くのです。言うまでもなく、私と共に行くすべての者は、これからは私と、自身に託された務めについてのみ考えるべきです。
それからバーバーは来たるべき旅の行程について話し合った。シドゥが何曲か歌った。その後、バーバーは厳粛な表情を浮かべながら、何枚かのガザル[抒情詩の歌]のレコードに耳を傾けた。音楽が終わると、彼は悟りについての次の談話を行った。
悟りは何人の手も届かぬところにあります。それは、たまたま完全なる導師に出会えた場合にのみ得られるのです。悟りが困難であるのは、ここで私たちが内なるものでも外なるものでもなく、私たち自身のあるがままにならねばならないからです。自分自身のありのままになることがいかに難しいか、皆さんは知るようになるでしょう。なぜなら、私たち一人ひとりが、ある意味で偽善者であるからです!私たちは正しかろうと間違っていようと、あらゆる仕方で自分を正当化します。さて、異なるマールガ[道]を歩む者たちにとって、それがいかに難しいかを見てみましょう。
ジナーン・マールガ[知識の道]——ヴェーダーンタ派はこう言います。「善きことであれ悪しきことであれ、これらすべてを行っているのは神である。私たちは事実、何もしていない。神が行うか、あるいはそれはカルマの法則の結果であるかもしれない」と。それゆえ、ヴェーダーンタ派には一つ欠けているものがあります。彼らは体験を伴わずに、神との一なることを断言するのです。なされる善きこと悪しきことのすべてが神によってなされていると言うのは正しいことですが、この体験[神との一なること]の欠如が彼らを誤った道へと導きます。
バクタ[献身者]はこう言います。「正しいことは正しく、間違ったことは間違っている」と。しかし彼らはこの習いに囚われ、塵のように乾ききってしまいます。そうして彼らは正と誤の二元性に深く埋もれてしまうのです。
ヨーガ・マールガ——ヨーギーたちがサマーディの中である種の至福を味わうと、彼らはそれに圧倒されてその奴隷となります。彼らは真の目標、すなわち悟りを忘れます。また、ヨーギーたちは、いくつかの力を得ますが、それらは非常に欺瞞に満ちたものです。ジャパ[神の名の静かな繰り返し]を行う者ですら、いくらかの力を得ます。それらに抗うことは非常に難しく、適切に用いることはさらに難しいのです。
悟りは非常に困難です。なぜなら、私たちは自分自身であることによって自分自身を見なければならないからです。それゆえ、これに対する処方は一つしかなく、それはサッドグルとの接触です。それでもなお、皆さんは自らを滅却しなければなりません。要するに、参我を見いだすためには己を失わねばなりません。それまでは悟ることはできません。
