第23章: 燃えるような自由な人生
1952年· ババ 58歳ページ 3,141 / 5,444
しかし、心の想像が遮られるところに、知識(ジナーナ)があります!そして想像が消え去るためには、心は消えなければなりませんが、意識は保たれなければなりません。では、知識はどこにあるのでしょうか。想像力の働きが終わるところに、知識があります。それはスワヤンブー — すなわち自動的なもの — と呼ぶことができます。それは神からおのずと到来します。神の知識とは、無限の力、至福、美、そしてあらゆるものを意味します。そのとき、瞬時に、まばたきする間に、すべてが完全に明らかとなります。
皆さんご自身のスワヤンブー・ジナーナ[自動的知識]とは何でありましょうか。それは、皆さんが自分が人間であることを知っているということです。この知識は知性的なものではありません。皆さんは自分が男であることを知っています。それでいて、皆さんはこのことを考えもせず、疑いもしません。女性は自分が女性であることを知っています。それは女性であることの自己認識です。そのような認識はスワヤンブーと呼ぶことができます。
同じように、神聖なるスワヤンブーがあります。この知識こそが真の知識です。この知識を持つ者は、自分自身をあらゆる物事のうちに、あらゆる場所において見るのみならず、神そのものの生命を生きるのです。この知識は、サッドグルの助けなくしては、何百万年、何百万生にわたってサーダナを実践しても得ることができません。サッドグルとの接触なしには、合一は不可能です。しかしそれさえも、極めて稀な場合にのみ可能となります。しかし繰り返しますが、これは合一であって、知識ではありません。
もちろん、真に実在するのはただ神のみです。他のすべては神の中にあります。私たちは神と一つでありますが、無知のために分離を経験しています。しかしこの分離は、翻って、神との一なる本性を悟るために必要なのです。さて、私たちはすでにこのスワヤンブーの知識と一つでありますから、それは神によって与えられるものではありません。個別化されたスワヤンブーであるこの神の知識をひとたび得れば、その知識を誰にでも授けることができます。知識はすでに万人の内にありますが、それを誰が与えるのでしょうか。そのために、サッドグルが必要なのです。しかしサッドグルは、誰彼かまわず与えるわけではありません。彼は自らを完全に滅却していない者には、それを与えることができません。彼は百パーセント自らを明け渡した者、あるいは彼ときわめて深い、緊密なつながりを持つ者にそれを与えます。サッドグルたちは一瞬でこの知識を与えることができます。しかしこの知識を望む者は、必要な準備を整えていなければなりません。そのときにのみ、サッドグルは助けを与えます。彼は準備の整っていない者にはこの知識を与えません。彼らに与えることは、豚に真珠を投げるようなものだからです。それが法則でありました。
