第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 309 / 5,444
男たちは皆、規律をもち、また手際よく機転を利かせて、与えられた任務をこなすことを身につけた。ベイリーは彼らの日課を次のように記している。
朝食の後、全員が敷地内に出て遊戯または運動をすることになっていた。一時間後、ちょうど七時三十分に、全員が一人ずつバーバーに会ってその日の指示を受けるか、訴えがあれば申し述べ、バーバーがそれに対応した。バーバーとのこの面会の後、一部の者はそれぞれの宗教施設[近隣]へ向かった——ゾロアスター教徒はアグヤリ[拝火神殿]へ、ムスリムはモスクへ、ヒンドゥー教徒は寺院へ、キリスト教徒は教会へ。自身が選んだ宗教の場所に赴き、その場の宗教的雰囲気を十分に吸収した後、マンダリの一員は午前八時三十分までにマンジルへ戻らねばならなかった。その後、それぞれが各自の一日の務めを果たしに散っていった。マンジルでの務めを与えられた者たちもまた、自分の仕事で忙しくなった。
マンジル-エ-ミームに滞在していた間、ベイリーはウパスニ・マハラジの生涯を記したグジャラート語による記述の第一部を完成させ、第二部もほぼ半ばまで進めていたが、ちょうどそのときバーバーが第一部を早急に出版すべきだと述べた。
バーバーはまず原稿を編集すべきだとの意見を示し、ナブサリのソマ・デサイを推した。ソマ・デサイは、著名なグジャラート語作家にして学者であるソラブ・ムンチェルジー・デサイの筆名であった。数年前の1917年、メルワンはデサイに一篇のガザルを送ったことがあった。ソラブジはこの一篇のガザルに深く感動して何度も読み返し、その作者にぜひ会いたいと熱望していた。しかし誰が書いたものか皆目見当もつかず、フマという名の作家を耳にしたこともなかった。
ベイリーはデサイがこのような仕事を引き受けるかどうかを疑ったが、バーバーは彼にその日の夕方ナブサリへ発つよう命じた。
ナブサリで起きたことについては二つの伝承がある。一つの伝承(ソラブジの親族がしばしば繰り返すもの)はこうである——ベイリーはソラブジに、自分はメヘル・バーバーから遣わされたのであり、原稿の最終編集を引き受けてほしいというバーバーの命令を伝えた。ソラブジはこれに苛立ち、こう言い放った。「このメヘル・バーバーとは何者だ。自分の作品を編集しろなどと、私に命じるとは。私は誰の下僕でもない。それに、そんな仕事に割く時間もない。メヘル・バーバーには手助けはできぬと伝えよ。」
ベイリーは何とか彼に協力させようと最善を尽くしたが、ソラブジは頑として譲らず、原稿を突き返した。ベイリーはボンベイへ戻り、バーバーに報告した。
