第3章: マンジル-エ-ミーム
1922年· ババ 28歳ページ 300 / 5,444
マサジはムスリム、パールシー、イラニのための食事の用意を担当し、チョウダリーはヒンドゥーのために料理した。一日中バーバーに付き添うグスタジは、バーバーのお茶を用意した。男たちの一部は他の者が仕事に出ている間、家事をこなしていた。
マサジは純粋なギー(精製バター)など値の張る材料を使って、とびきり美味しい料理を作るので、ゾロアスター教徒もムスリムも肉を恋しく思うことはなかった。朝食には紅茶、パン、バターが好きなだけ用意され、ヒンドゥーには紅茶とジャレビ(インドの菓子)が出されて、彼らはこれを舌鼓を打って食べた。昼食には米飯、ダール、野菜一品が用意された。午後にはお茶が出され、夕食はパン、または(キビの)バクリ、(小麦の)チャパティに、別の野菜を一品添えたものであった。単調にならぬよう、毎日異なる種類のダールと野菜を調理して、菜食の献立にも変化を持たせた。そして食事のほとんどはバーバー自らが杓子で各人のブリキ皿に料理を盛り付けて配膳した。
あるとき食事中、バーバーは男たちに何かを話し始めた。ほとんどの者は耳を傾けるため食事の手を止めたが、ペンドゥは止めなかった。彼がちょうど食べ物を口に運ぼうとした瞬間、バーバーは杓子を取り上げて彼に向かって投げつけ、頭に命中させた。そのことからペンドゥは大切な教訓を学んだ——マスターが話すときは、すべての手を止めて耳を傾けよ、と。
男たちは時折、タクシーに乗って市内を巡ることが許され、映画や演劇に出かけることも許された。既婚のマンダリの妻子には、バーバーから毎月プラサード(聖なる賜物)の形で生活費が送られた。こうしてその男たちは、家族の暮らし向きについて何の心配も抱えずに済んだ。
マンジル-エ-ミームでは(蚊帳を含めて)あらゆる設備と便宜が整えられていた。だが、生活が喜びばかりというわけではなかった。最も些細な命令も、最も骨の折れる命令も、バーバーの命は文字通りに実行されねばならず——そのため、どの仕事も他のどの仕事より大きいということはなかった。男たちはそれぞれ自分の人生をマスターに署名して委ねていたため、誰一人として真の意味で個人の自由を持つ者はいなかった。時には、彼らは彼の命令と指示という壁の内に閉じ込められた囚人のように感じた。外出のときでさえ、男たちは自由を享受しているとは感じられなかった。マスターのナザル(見守るまなざし)が常に彼らに注がれていたからである。
マスターの呼びかけや命令に対しては、すぐさま応えなければならなかった。たとえば、ある者が髭を剃っているときにマスターから呼ばれれば、その者は顔の石鹸を拭うことすらせず、すぐさまバーバーのもとへ駆けつけねばならなかった。ある者が気を付けの姿勢で立っているよう命じられた場合、その者はバーバーがそれを解くと言うまで立ち続けねばならなかった。同様に、横になれと命じられた者は、自室に行くこともなく、その場で直ちに横にならなければならなかった。
